わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

みなトコ×みなとQ みなとQ編集室 06-6576-0505

2020年10月28日◆保存版 港区の軌跡 わが町 今昔 知っトコ 

 

1925年に誕生した港区は、2025年に100歳になります。当初は、今の大正区と九条の一部を含み、戦前の人口はおよそ30万人。区内だけでも小学校が20校あり、大阪市内最大の人口を誇りました。
江戸時代の新田開発に始まり、大阪港が開港した頃には、天保山沿岸の牡蠣や市岡新田の西瓜が有名で、漁業や農業も盛んだったようです。大阪市初の市電が開通し(九条~築港間)、東洋一の規模と言われた大阪市立運動場(現長居陸上競技場)や、同じく東洋一と謳われた高さ30mの飛行塔があった市岡パラダイスもできるなど、大勢の人が集まる町でした。
戦時中、大阪港が軍事拠点だったことで標的となり、大阪大空襲では港区のほぼ全域が焼け野原に。戦後復興と高潮対策として行われた前例のない区画整理事業では、港区の87%もの土地を盛土して、地面を丸ごと2mも嵩上げし、家屋を丸太で移動する光景もあったようです。
昭和の中頃には、ジェーン台風や第二室戸台風の浸水で被災しながらも、国際見本市会場(現インテックス大阪)が完成し、弁天埠頭がフェリーで賑わい、平成に入ってからは海遊館やORC200、八幡屋公園や大阪プール等、次々と現在の施設が完成しました。
今の私達にとってはこの風景が当たり前ですが、およそ300年前(江戸時代)に生まれたこの地は、戦災や天災を乗り越え、時代と共に移り変わってきました。そしてこれからの未来はもっと明るくなるはず、というより明るくできます!港区という名が存続するかは分かりませんが、地域の力で明るい未来をつくっていきましょう!
(2020年10月末現在)

 

 

みなトコではたくさんの方々のご協力のもと、
港区の昔懐かしい写真と、歴史をご紹介してきました。
ご協力いただきました皆さん、本当にありがとうございました!
この場をお借りして改めて御礼申し上げます。(写真は過去のみなトコから抜粋)

 

 

2016年7月に創刊してから、あっという間の4年半でした。長年住んでいる方はもちろん、最近引っ越して来た方や子どもたちにも地元を好きになって欲しいと思い、港区の歴史や地域の活動、子どもたちの頑張りを中心に紹介してきました。身近にいる人たちの想いや夢に向かう姿を知ることで、少しでも港区に愛着を持ってもらえていたら嬉しく思います。
自分が生まれて40年。近所の駄菓子屋さんや工場がなくなったり、新しくマンションが建ち並んだりと、街の風景は移り変わりましたが、新陳代謝だと考えれば当然のことかもしれません。見慣れたものが変わっていく寂しさはあるものの、未来へ向かうためには必要なことかなと思うようになりました。もし仮に港区という名称がなくなっても、この土地がなくなるわけでもなく、地域のつながりはこれからも続きます。みなトコの発行は終わりますが、また違った形で、未来を担う子どもたちのために活動していきたいと思います。最後に、読者の皆さんからのたくさんの投稿や写真提供、表紙撮影や広告掲載等、多くの方に支えられ、大変感謝しています。皆さん、本当にありがとうございました!元気あふれるみなとっ子の、未来は明るい!

2020年8月27日◆特集 本の世界で気分を変える 

気の休まらない自粛生活、すっきりしない閉塞的な気分が続きます。
普段であれば、子どもたちは体を動かしてエネルギーを発散できますが、今はそうはいきません。
ゲームや動画、スマホでの気分転換もいいですが、これからは読書の秋、本の世界で気分を変えてみてはいかがでしょう。
登場人物やストーリーに入り込むことで現実世界から離れ、非日常の世界を過ごすことで気分転換になります。
大人が韓流ドラマにハマるのも同じ理由かもしれません。

 

 

 

 

 

毎月、各地域で開催されていた子育てサロンが休止状態となり、子育て相談やママたちのおしゃべりの場が減少しています。

そこで、港区の子育てサロンにも携わっている方々(港区主任児童委員等)が、無料のアプリ「Zoom」を利用したオンラインの子育て相談をはじめました。
「第一子の子育てが不安で…」「相談できる人が身近にいなくて…」「習い事はいつ頃から?」「復職に向けてどうしたら?」など、子育てや孫育ての経験豊富な方々が個別の相談にのっていただけます。
Zoomの利用時には個人情報が分からないようニックネームを利用したり、自宅が映らないようカメラをオフにしたり、周りで子どもたちが賑やかな状態でも大いに結構だそうです。とにかく気軽に相談できる場をつくりたいとの想いからスタートしました。ちょっとした育児相談や子育ての息抜きにぜひご利用ください! 

2020年6月25日◆特集 報道されない子どもたちの声

6月から少しずつ、学校や保育園・幼稚園が再開し、子どもたちは新しい生活様式の中で過ごしています。
学校に行って友達や先生と会える喜びがある一方で、感染防止対策で慣れない状況に戸惑いがある子どもたち。
今の状況では仕方がないことだと頭では理解していても、我慢していることもたくさんあるようです。
そんな子どもたちのために先生方も、自前の仕切り板を製作したり、
フェイスシールドを着用して汗だくになりながら授業をしたりと、初めてのことに日々試行錯誤されています。
そして、その先生方を支える地域やPTAの皆さん。学校内各所の消毒作業やトイレ清掃等で協力するなど、
先生方の負担を減らす動きもはじまっています。今は誰もが初めてのことばかり。
疑問に思うことも多々あると思いますが、非難や文句で終わらせず、前向きに建設的な意見交換をしていきたいですね。
テレビやインターネットでは色々と報道されていますが、
身近にいる子どもたちや保護者が何を感じ、どう思っているのか、生の声をお届けします。

 

2020年4月28日◆特集 港区 VS コロナウイルス

今回、外出自粛や休業要請の中でのみなトコの発行を悩みましたが、みなトコだからこそできる情報提供もあると思い、発行することにしました。
それは、身近な人たちがどのような状況で何を思っているのかを伝えることです。
報道やニュースでは、国や大阪全体の話は聞けても身近な人たちの状況は分かりません。
自粛で人との会話が減り、周りの状況が分からないため不安が増していたり、逆に危機感がなかったりしているようにも思います。
そこでたくさんの方々にご協力いただき、港区内の声を集めて掲載することにしました。
また一方で、港区に感染者が出たという噂を聞いても確証がなく、時には聞き間違いや誤解による不正確な情報に振り回されることもあります。
区役所に聞くと、区ごとの感染者情報の公開は、プライバシーの問題や誹謗中傷、風評被害につながる懸念もあり、公表しにくいとのことでした。
ただ、港区の情報を知りたいと思いつつも、感染情報を聞いた際には、時すでに遅しで一気に拡大しているような気もします。
それでも、自分たちにできることは、うつらない、うつさないの予防を日々実践していくことです。
早期終息を祈ります。

2020年2月27日[特集]わが町 今 知っトコ  学びの改革 築港中学校

 

 

築港中学校では、ここ数年、様々な取り組みが行われています。
数年前に始まった海遊館連携授業や、株式会社リバネスさんのご協力のもと開催されるジュニアチャレンジワークショップ、

今年度から取り組んでいるICT教育など、他にはない幅広い学びの機会があります。
話題のSDGs(持続可能な開発目標)を意識した教育改革を実践する、築港中学校の元気な姿をご紹介します。

 

 

2019年12月23日◆特集 わが町 今 知っトコ 弁天町駅周辺の巻

◆特集 わが町 今 知っトコ 弁天町駅周辺の巻

9月に移転した大阪みなと中央病院に、美容医療センターが開設されました。
「美容医療センターって何?」「総合病院で美容医療?」と疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
センターを開設するにいたった経緯を院長の細川亙先生にお聞きしました。


2019年10月28日◆特集 わが町 今昔 知っトコ 第8回 朝潮橋駅周辺の巻

 

港区民の憩いの場である八幡屋公園は、昔から子どもたちが集まる遊び場でした。以前は八幡屋交通公園(1972年~)という名で、横断歩道や使われなくなった電車、噴水池があり、地面がアスファルトだったため、この交通公園で自転車に乗る練習をした方も多いのではないでしょうか。自然が多い現在の八幡屋公園とはまた一味違う楽しさがありました。
戦前の1923年、日本初の50mの競泳用プールや、5万人を収容可能なスタンド付きの陸上競技場など、大規模な総合運動公園としてスタートした大阪市立運動場では「第6回極東オリンピック大会」(1923年)が行われました。隣には国際見本市会場(1956年)も建設され、当時も大勢の人が集まるエリアでしたが、1964年には長居陸上競技場へ、1985年には南港のインテックス大阪にそれぞれ移転しました。その後、1987年頃から大規模な工事が始まり、現在の八幡屋公園と体育館、大阪プール(1996年)が完成しました。
ちなみに、朝潮橋という駅名は、みなと通り(旧築港大道路)を横切る井路川(用水路)にかかっていた「朝潮橋」に由来しています。当時の朝潮橋は、みなと通りと中央大通の合流地点付近にありましたが、戦後の埋立の際(1951年)に撤去されました。駅前にある大阪メトロの敷地(元は交通局の敷地)の工事も始まり、大阪メトロに問い合わせましたが、何が出来るか今は公表できない、とのことでした。駅前に新しく何が出来るのか、地元民には楽しみですね!
(八幡屋交通公園や実際の「朝潮橋」の橋の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけると嬉しいです!)

毎月第一土曜にオープンする田中食堂では毎回200食が完売するほど老若男女で賑わいます。お手伝いされる地域スタッフは30名以上にもなり、「参考事例にしたい」と他区からの見学や視察もあるそうです。「地域の活動とはいえ、地域に強制されて手伝う雰囲気じゃなく、それぞれが来れる時に来てもらって、楽しみながら協力してくれています」と矢田会長が話されるよう、一流の主婦の皆さんがワイワイしながら食事の準備をされています。
取材に伺ったこの日はカレーとかき氷。地域のおじいちゃんおばあちゃん、練習後の子ども会を中心にした大勢の子どもたちが訪れます。2階にある和室は「すまいるひろば」として開放され、将棋やオセロ、カルタやブロック等があり、おもちゃで遊ぶ子もいれば、寝っ転がっておしゃべりしたり、赤ちゃんを遊ばせながらお母さんたちも団らんしたりと、お正月に大人数の親戚が集まったような光景が広がります。隣の学習室では、スタッフの方と一緒に学校の宿題をしたり、用意されている漢字プリントをしたりと、それぞれが自由に時間を過ごしています。
食事後には、地域の方による落語や南京玉すだれ等が月替わりで披露され、この日は港区住みます芸人ガチャガチャさんによる漫才があり、「意外におもろいな!(笑)」という観客の声に、「こんなにウケたの初めてです(笑)」と返す一幕も。アットホームな雰囲気の中、皆さん楽しまれていました!

 

家族全員が将棋好きという将棋一家。6歳の時にお父さんに教えてもらったのがはじまりです。お兄さんお姉さんが通っていた将棋会館(JR福島駅)に週一回付き添いで行くうちに自分も将棋を指すようになり、小学3年生の時には初段に。ご自身が5年生だった2016年、最年少記録を更新(14歳2か月)してプロ棋士となった藤井聡太さんの活躍に刺激を受け、一気に将棋熱があがりました。夏休みには将棋会館に毎日通うようになり、2段へ昇段します。
対局では100手前後で勝負が決まりますが、およそ40~50手先まで考えて指しているそうです。そして、対局での自分と相手の指し手を全て覚えていて、対局後の感想戦(対局の振り返り)で攻め方や守り方をお互いに細かく振り返ります。昨年から2年連続で全国中学生選抜将棋選手権大会に出場し、昨年は準優勝、今年はベスト8に入賞されました。今年の9月にはプロ棋士養成機関である「奨励会」の試験に合格し、これからはアマチュアの大会に出られなくなりますが、「プロになることが、支えてくれた方々への恩返し」と、20歳までにプロになることを目指されます。「勝負に勝つ喜びや強い相手と対局する際の高揚感がたまらない」と、将来進む道を14歳で決めた覚悟と決断力に、見ているこちらも応援したくなりますね。プロ棋士を目指して頑張ってほしいです!

 

休日に公園で見かけるバドミントン。のんびりしたイメージのあるバドミントンですが、競技となるとまるで別のスポーツのように激しくなります。シャトルの最高速度は時速300km近くあり、試合中ずっと動き続ける運動量の多さや激しさは、遊びでするバドミントンのイメージとはかけ離れています。
小学1年生から始め、2年生の時は平野区にあるクラブチームに週6日で通い、4年生からは週7日で練習に励んできました。4年生の時に大阪府の大会で優勝したこともあり、放課後に友達と遊びたい気持ちはありつつも「練習してもっと強くなりたい」という気持ちの方が勝るほど、負けず嫌いの性格のようです。港中学校に入ってからも、部活に所属しつつ、私立の強豪校の練習に参加し、全国レベルの高校生と一緒に練習してきたそうです。「才能があったのではなく、努力で強くなった」と語るほどに練習量は半端ではなかったようで、「とにかく声を出すことで自分に勢いをつける」と緊張した時や、ここぞという場面での自分の調整法も確立させています。将来の目標は、プロになって日本代表選手になること。「試合で勝って恩返しをしたい」と普段は言えない両親への感謝の気持ちも語ってくれました。取材の際もさわやかに話してくれた川畑選手、応援したくなる選手です。これからが楽しみですね!

 

2019年8月28日◆わが町 今昔 知っトコ 第7回 弁天町駅周辺の巻

 ほとんどの人は、今でもオークと呼ぶのではないでしょうか。バブルの終わり1993年に完成したORC(オーク)200は、「Osaka Resort City」の頭文字と、ビルの高さが200mあることに由来しました。オープン時を知る人なら、巨大なキングコングがビルをよじ登っていたのを覚えている方も多いはず(このキングコングの写真をお持ちの方はご連絡いただけると大変嬉しいです!)。
再開発事業の「負の遺産」と批判されたORC200でしたが、港区で育った人にとっては楽しい思い出の多い娯楽施設だったと思います。オープン当時、西日本最大級の屋内プールと言われたパラディッソPOOLSや宇宙旅行を疑似体験できるアトラクション、ボウリング場、ゲームセンター、カラオケ、ビリヤード、TSUTAYA、キャップ書店、多数の飲食店など、時代と共に店舗も移り変わりながら、20年以上にわたり港区民にとっては絶好の遊び場でした。
大阪市から民間企業に売却され、2018年からは運営会社の変更と共にOSAKA BAY TOWERとなり、大阪ベイエリアのランドマークになることを期待されています。テナントの入れ替えも行われており、「前の方が良かった…」という声も聞こえてきますが、新しく生まれ変わるためには、一度リセットする必要があります。ノスタルジックな過去の楽しい思い出に縛られず、新生・弁天町になるのを期待して、その変わっていく様子も楽しめるといいですね!

この9月より、大阪港の駅前にあった大阪みなと中央病院が、弁天町駅前へ移転します。
建設されたばかりの病院へのアクセス方法をご紹介します。

9月より、「口腔外科」が診療開始。「美容医療センター」も10月開所予定。

 

①車の場合

車寄せの入り口は中央大通り沿いではなく裏側にあります。裏側の道路が一方通行なので、初めて行く方は少し戸惑うかもしれません。1Fの駐車スペースは車いすマークとなっているため、一般の駐車スペースはありません。大阪ベイタワー地下駐車場を、契約駐車場(有料)として利用できるそうです。※地下駐車場よりエレベーターで2Fへあがり、大阪メトロ中央線の連絡通路から病院へ段差なくスムーズに移動できます。

②自転車の場合

駐輪スペースは中央大通りからも裏側からも入れますが、駐輪台数は少ないため、同料金の近隣駐輪場でもよいかもしれません。

③大阪メトロ利用の場合

大阪メトロ弁天町駅からは渡り廊下が3F総合受付へ直結しているため、迷う心配はなさそうですが、こちらの西改札側は、ホームから改札階へのエレベーターが現時点では未完成のため、車椅子やベビーカーをご利用の方は、しばらく遠回りをする必要がありそうです。

④玄関は?

1Fには、「正面玄関」を設けておらず、3Fが総合受付となるため、電車以外の方は一見入口がわかりづらいかもしれません。中央大通り側の入口からも3Fへエレベーターで行けますが、車寄せのロータリー側の方がわかりやすく感じました。

 

荒井岳さん

 

今年2月にオープンした空庭温泉。「外資系企業」というイメージが先行し、まるで黒船襲来のような印象の方もいるのではないでしょうか。空庭温泉の施設は既にご存知の方も多いと思いますので、今回は施設ではなく、運営している方のご紹介です。空庭温泉を企画運営されている大阪ベイタワー合同会社の荒井岳さんです。
箕面出身で桃山学院大学卒業。学生時代はバンドに明け暮れる日々で、「卒業後も就職せずに音楽の道に進むつもりでしたが、周囲に説得されて…(笑)。」卒業間近の12月になってから、急遽就職活動をして、船場にある繊維問屋に入社が決まります。人懐っこい性格で営業先でも可愛がられる毎日。そんな中、偶然知り合いに古いパソコンをもらったことで新たな道がひらけます。まだエクセルのようなソフトがない時代でしたが、独学で自社の在庫管理システムを作るようになりました。それをきっかけにITの仕事に興味を持ち、IT会社に転職。そこでも人柄を買われて営業職でしたが、プログラミングに興味があったため、毎晩8時から同僚の技術者に技術を教えてもらっていたそうです。その後、外資系の会計事務所に転職して、クライアントの会計レポートを作成するうちに、データから会社全体の経営状況を分析できるようになり、クライアントから経営の相談を受けるようになります。経験を積む中で企業再生を専門に担当、過去には日本マクドナルドの再生にも携わり、2005年にはUSJの立て直しも参画され、V字回復のきっかけをつくります。今のUSJがあるのは、荒井さんのおかげと言っても過言ではありません。その後、東京のコンサルティング会社に勤めている際には、東日本大震災で被災した三陸海岸の町の復興支援にも携わり、企業再生とはまた違う、町の復興の難しさを実感すると同時に、地元大阪のまちづくりについて考えるようになりました。
そして、大阪への想いに導かれ、空庭温泉へ。「日本や大阪の歴史と文化に接するテーマパーク」というビジョンを掲げ、スーパー銭湯やテーマパークとも違う、どこにもない新しい施設を目指しています。「ネットでは買えない化粧品を置いたり、安土桃山時代にしかなかった調味料を使った料理など、色々こだわっていますが、新しい考え方の施設なので、理解していただくのに時間がかかると思います。」
ご自身の趣味で弁天の剣道場に通ったり、周辺のお店で飲み歩いたりと、地域との関わりにも興味を持たれています。「港区の皆さんがご利用しやすい方法も検討していますが、今はまだオープンしたばかりで、空庭温泉を軌道にのせるのに精いっぱい。あれこれ考えても外資系のオーナー会社との交渉に時間がかかってしまうのが現状です。地元に愛される施設を目指して、今後はもっと地域との連携もしていきたいと思っています。長いお付き合いをお願いします。」空庭温泉だけでなく、弁天町の再生やまちづくりにも関わっていきたいとのこと。大阪市の負の遺産と言われたORC200から生まれ変わり、どのように港区と一緒に変化していくのか、今後の展開が楽しみですね!

 

 

2019年6月28日わが町 今昔 知っトコ

港区発‼地下鉄中央線

港区になくてはならない大阪メトロ中央線は、御堂筋線、四つ橋線に続き、三番目となる早い時期(一九六一年 弁天町~大阪港)に開通しました。同年のJR環状線の弁天町駅完成に合わせて建設され、中央線は最初の三年間、この三駅のみで、後に本町方面へと延伸していきます。他線に比べ早い時期に建設されたのは、国際見本市会場(今の八幡屋公園)を誘致した朝潮橋と、海外との貿易拠点である大阪港へのアクセスが重要だったから、という話もあります。港区が昔から国際的な地域だったことがうかがえます。中央線のラインカラーの緑色は、沿線にある大阪城公園の緑に由来し、地下鉄なのに地下ではなく高架なのは、当時の港区はまだ台風や高潮等による浸水被害が多かったことや地盤が弱かったためです。港区民の足を支えるこの三つの駅を中心に、それぞれの周辺地域を特集していきます。今回は大阪港駅の周辺からスタートです。


▲右奥に見えるのが弁天町駅、手前は弁天埠頭(昭和40年頃)  (写真提供:大阪港振興協会)


▲市立運動場(左)と国際見本市会場(右)   (「みなと今と昔」より)

子どもたちの夏休みがはじまる合図とも言える夏祭り。港区では五つの神社で催されます。夜店の
イメージが強い夏祭りですが、本来は年に一度の大祭式例祭(最も重要な祭祀)と呼ばれる神事です。
港住吉神社の本社である住吉大社は、令和で話題の万葉集にも多く詠まれ、当時は住吉と書いて
「すみのえ」と読んでいたそうです。築港にある港住吉神社は、天保山が完成した十年後の一八四二年、港の安全を祈願して、
天保山の中腹に祀られました(大阪港開港は一八六八年)。夏祭りに踊られる住吉踊りは、豊作を祈る御田植神事を始め祭典時に踊られていたもので、三世紀の神功皇后時代に起源を持つ歴史ある踊り。今年も五十人ほどの子どもたちが踊る予定です。
全国的に有名な住吉踊りを見に遠くから来る方もいるようです。
氏子地域の皆さん、特に子どもたちが支えている夏祭り。地域の子どもが少なくなると、夏祭りの存続が難しくなります。少子化で子どもが減少していく将来、地域の垣根を越えて、神事である夏祭りを残していく取り組みを考える必要があるかもしれませんね。


住吉踊り


戦前のみこし渡御


松本英之さん


天保山まつり

毎年秋に開催される天保山まつりは、昨年第11回を迎えました。十数年前に、築港を盛り上げようと地域の方々が始めた『みなと秋まつり』がきっかけです。現在、天保山まつりを主催する『築港・天保山にぎわいまちづくり実行委員会』の事務局長をされている築港在住の松本英之さんは、海と港が好きということで大阪港のにぎわいづくりに尽力されています。大阪市立大学都市経営研究科の特任教員を務めながら、『みなとまちづくりマイスター(国土交通省港湾局長賞)』に認定され、港のまちづくりを研究されています。事例を学びに日本各地の港町を視察に訪れるうちに、違う視点から港区の良さを再発見し、港区全体の将来まで考えるようになったそうです。「港区の歴史に繋がる、ストーリー性あるまちづくりが大切。港区にある3駅、弁天町、朝潮橋、大阪港の周辺地域はそれぞれカラーが異なるので、それぞれの特色を生かしたまちづくりをしていく必要がある」とのこと。「天保山まつりも、どこでも開催できるイベントではなく、天保山だからこそ出来るイベントです。海や大阪港に関連した帆船や菱垣廻船、大阪湾で採れる魚介類など、天保山ならではのイベントにすることが大切」と話され、他の地域では出来ない『天保山らしさ』を創られています。いつもと少し違う視点で見ると、天保山まつりの楽しみ方も変わりますね!今年は11月10日(日)に開催です!!

毎月第2土曜日の築港高野山は、地域食堂「カレーハウス ほっこり亭」で賑わいます。地域の方々が朝から準備され、11時半にオープンします。子ども会の練習後に来る小学生や部活前後の中学生、保護者の方々や学校の先生、地域のおじいちゃんおばあちゃんも集まり、食堂に入りきれない子どもたちが、境内でアウトドア気分を味わいながら食べるほど盛況です。取材に伺ったこの日は、消しゴムはんこのワークショップが開かれ、彫刻刀やカッターで「イルカ」や「てるてる坊主」の消しゴムはんこを作り、オリジナル葉書を制作していました。「はんこ作っていいかお母さんに聞いてくる!」「はんこ作るかお兄ちゃんに相談してくる!」と、大人にとっては些細な事も、低学年の子どもたちには一大事でした(笑)。食事の後は学習会もあり、地域の方と一緒に学校の宿題をしたり、勉強の仕方を教えてもらったりと、まさに寺子屋でした。大人も子どもも集まって、みんなでワイワイガヤガヤと楽しめる空間は、地域で子どもたちを育むきっかけになりますね!

2019年2月26日◆わが町 今昔 知っトコ 第5回 築港中学校下の巻

築港大潮湯(桧垣宏之様提供)

土日のみならず平日でもたくさんの人で賑わう天保山。海遊館や観覧車、マーケットプレースなど、今でも楽しい施設が盛り沢山ですが、その歴史は古く、明治時代までさかのぼります。
大阪港の開港は1868年。その20年後には「天保山遊園」(1888~1897年)が開園しました。海水を沸かした入浴施設や釣り堀、潮干狩りなど、当時としては珍しいレジャー施設だったようです。その後、「築港大潮湯」(1914~1934年)という海水を使った温泉施設が開業し、プールやレストラン、映画や演芸場もありましたが、1934年の室戸台風で被災し閉鎖されました(磯路にあった市岡パラダイスは1925~1930年)。

みなと遊園(厚見昌彦様提供)

また戦後は、地下鉄中央線(大阪港〜弁天町間)の開業と同じ年に、「みなと遊園」(1961~1972年)が開園(現在の天保山第五コーポの地)。ジェットコースターやヘリコプター塔、プールや動物園など、大きな遊園地だったようです。平成に入ってからは皆さんご存知の海遊館とマーケットプレースが1990年に開業し、時には弁天町付近まで大渋滞を引き起こす程の賑いをみせます。ちなみに、海遊館という名前は公募されたそうですが、審査員だった上沼恵美子さんが「海遊館」を強く推されたそうです!

海遊館連携授業

ダンス部の活動

吹奏楽部の活動

 

海遊館の近くならではの取り組み、海遊館連携授業。希望する生徒たち十数名が海遊館のスタッフの方々と一緒に海洋生物を調査します。海が近い港区に住んでいても海洋生物については知らないことが多いですよね。飼育スタッフの方の専門的な説明や指導に、生徒の皆さんのみならず、付き添いの先生方も興味津々。幻の深海ザメ「メガマウス」の解剖や牡蠣の濾過能力、天保山岸壁の生態について本格的な調査を実施してきました。2016年に始まった北海道大学主催の「海の宝アカデミックコンテスト」で調査結果を発表し、中学マリン・サイエンス部門で「りゅうぐうのつかい賞(優秀賞)」を2年連続で受賞しました!
部活動では、吹奏楽部の皆さんが天保山まつりや八幡屋バルなど、地域のイベントに数多く参加し、長居公園でのクリスマスコンサートでは大阪ジュニアバンドの皆さんとコラボレーションで演奏することも。港区唯一のダンス部も、経験豊富な顧問の先生の指導により、大阪市秋季総合体育大会で奨励賞を受賞しています。頑張っている中学生の姿を見るとこちらも元気をもらいます。これからの活躍も期待したいですね!

 

一風堂さんのラーメン作り出前授業

オイスカさんの森のつみ木広場

校庭凧あげ

小学生の子どもたちは、ちょっとしたことをきっかけに大きく成長することがよくあります。港晴小学校では、子どもたちにたくさんの体験を!ということで、出前授業に来てもらったり、社会見学に参加したりと、数多くの体験学習に取り組んでいます。食育の一環で、有名ラーメン店の一風堂さんが出前授業に来られたことも。実際に使用している寸胴をトラックで運びこみ、ラーメンや餃子作りを体験し、プロの技に触れます。公益財団法人オイスカさんの「森のつみ木広場」では、車に積んだたくさんの積み木を体育館に広げ、子どもたちは思う存分に積み木を使い、思い思いの創作活動に熱中し、さらには日本の森の現状をお話しいただき、自然についても学びます。
学年によっては年間で10回近く社会見学へ出かけることもあり、社会見学を楽しみに学校生活を頑張る子どももいるとか。社会を知ることで、普段の学習内容が外の世界とつながり、視野を広げるきっかけにもなります。近くにある善児園の園児さんとの凧あげ大会もあり、年下の子どもと接することで思いやりや優しさが育まれます。子どもたちが成長するきっかけは百人百様、だからこそたくさんの体験を大切にされています!

 

ふれあい給食

着付け体験

和菓子作り

地域とのつながりが強い築港小学校。授業や課外活動に地域の方々がたくさん協力されています。6年生ではキャリア教育の一環で、保護者やご近所の方が自身のお仕事についてお話しされます。今年は消防士や通訳、給食調理員、過去にはパティシエの方にも来ていただき、様々なお話を直接聞くことで、子どもたちはそれぞれの将来を思い描きます。

接する機会が少なくなったおじいちゃんやおばあちゃん世代との交流も盛んで、給食の時間には地域の方々と一緒に食べるふれあい給食、土曜授業では昔遊びや昔の暮らしについて教えてもらい、芝生の手入れや学習園での農作物の栽培までお手伝いしていただきます。10年以上続く着付け体験では、浴衣をきれいに着る身だしなみやお茶の作法、そして和菓子の作り方を地元の静月さんに教わるなど、伝統文化も学びます。海遊館による出前授業や、避難所になっている大阪税関では避難訓練の際に麻薬探知犬のデモンストレーションを見たりするなど、築港ならではの体験学習もあります。地域と小学校の一体感は、無意識ながらも地域に見守られている安心感につながります。小学校を中心に地域で子どもを育てる「共育」で、のびのびと育って欲しいですね!

 

2018年12月20日◆わが町 今昔 知っトコ 第4回 市岡東中学校下の巻

◆特集 わが町  今昔  知っトコ 第4回 市岡東中学校下の巻

世界の国からこんにちは

2025年の大阪万博が決まりました!
今から6年後の万博に向けて、コスモスクエアから夢洲まで
大阪メトロ中央線の延伸と、それに伴う港区の変化が楽しみです。

2018年10月24日◆わが町 今昔 知っトコ 第3回 港南中学校下の巻

ほとんどの男子が一度は憧れるロボット。港南中学校の技術部では、ロボットコンテスト(通称ロボコン)に出場するため、自分たちで一からロボットを製作します。プラモデルのような設計図があるわけではなく、決められたルール内で自由に設計し、素早く正確に競技できるようアイデアを出しあいます。過去には全国大会に出場したこともあり、昨年も「全日本小中学校ロボット選手権大阪府予選大会」でデザイン賞を受賞しました。
最近ではプログラミングが注目されていますが、ご自身も高専時代にロボコンに出場されていた技術部顧問の米澤先生いわく、「プログラミングも大切ですが、そのプログラムで機械をどう動かすのか、試行錯誤しながら実際にロボットを作りイメージすることが、ものづくりには重要です」とのこと。部員の皆さんは、自分で考えたオリジナルロボットの製作を通じてものづくりを学んでいます。
部活動が盛んな港南中学校。最近では水泳部が全国大会に出場し、卓球部は大阪市で優勝、バドミントン部やソフトボール部も大阪市で準優勝、他の部でも選抜に選ばれたり、優秀賞を受賞したりと大活躍!勉強はもちろん、部活動での様々な経験を通じて、体力的、精神的に大きく成長します!

 

三先小学校の夏休みに開催されるPTA主催の「星を見る会」。夏の夜空の下、大人も子どもも天体望遠鏡に集まります。田舎がない、または田舎に帰れない子どもたちが、夏休みに自然を感じられるようにと、PTAと地域の方々の協力のもと、1983年に始まりました。写真ではなく、実際に天体望遠鏡で見る月のクレーターや、まれに見られる土星の環は、子どもたちに宇宙の壮大さを感じさせます。36回目を迎えた今年も、100人以上のスタッフと500人程の子どもや卒業生、保護者が集まり、天体観測や縁日を満喫し、3年前からは打ち上げ花火やナイアガラ花火も夜空を彩ります。

今年、三先小学校の体育館にボルダリングが登場しました。学習時に姿勢を維持して集中する力、鉛筆を持つ時の力を抜く感覚など、あらゆる面で体の健全な発達が必要だという考えのもと、子どもの体つくりに力を入れます。昔からある三先山に加え、ボルダリング、バランスボードやけん玉も校内に設置され、楽しく遊びながら自然と体が鍛えられます。幼い時から体を動かして遊ぶことは、学習面でも大切なんですね!

 

 

市岡会館で月に一度、市岡小学校6年生が赤ちゃんと遊びます。クラスが半分ずつのチームに分かれ、事前に練習した歌や手遊び、アンパンマンのお芝居などではじまり、慣れてきたところで赤ちゃんたちと一緒に遊びます。はじめはどうしてよいか分からず戸惑っていた男の子たちも、終わる頃には自然な笑顔に。昔に比べると兄弟が少なくなった時代、小さい子どもや赤ちゃんの面倒をみる機会は減りました。赤ちゃんや年下の子たちと直接ふれあうことで、優しさや思いやりの心を育みます。
4年生では、毎年エコキャンドルをつくります。NPO法人ごみゼロネット大阪や繁栄商店街、地域の皆さんの協力のもと、廃食油に色や匂いをつけ、グラスにかわいいペイントをして、キャンドルとして生まれ変わります。3R(リデュース、リユース、リサイクル)を体験し、楽しみながらごみの削減や再利用の大切さを学びます。子どもたちが作ったエコキャンドルは、7月7日の七夕の日に繁栄商店街に飾られ、地域の方々と一緒に楽しみます!

 

夏休みを彩る港区各地の盆踊り。田中小学校で開催される「こどもおどり」は、昨年から始まった校舎建替え工事のため、運動場ではなく体育館で開催され、体育館の天井にはミラーボールが登場。浴衣を着た子どもたちやお母さんたちを照らすミラーボールに、流行りの昭和バブリー感が演出されます。校庭では地域の方の模擬店が並び、子どもたちは所せましと賑わいます。
7月の夏季キャンプ、10月の田中カーニバル、1月のもちまつりなど、地域で子どもをはぐくむ行事が一年中開催されます。若いお父さんお母さんの意見を次々に取り入れ、次回のもちまつりでも楽しい企画が予定されているとか。港区はどの小学校も地域で子どもを見守り、小学生たちは地域と関わりながら成長します。
ちなみに、田中小学校の新校舎は、2019年の秋頃完成の予定だそうです。それまでは運動場が使えず、子どもたちのガマンは続きますが、新しい校舎ができることは楽しみですね!

2018年8月29日特集 わが町 今昔 知っトコ 第2回

 

災害につながるほどの異常気象と巨大地震。
どちらも、いつ起きてもおかしくありません。
先日の西日本豪雨でさえ、港区では土砂災害や堤防の決壊はなく、
他府県のような被害はありませんでしたが、港区はかつて水害に弱く、
幾度となく浸水被害にあった歴史があります。
今回は港区の災害を振り返ってみたいと思います。

 

 

今年から港中学校区で取り組んでいる品格教育。ふと聞くと「港区に品格?」と思ってしまいそうですが、社会で生きていくための基本となるキーワードを伝える取り組みです。「感謝」や「継続」のように、少し堅いけれどとても大切な言葉たち。文字だけだと堅苦しくなりますが、オスの三毛猫「みにゃっと」が登場することで柔らかく、子どもたちに親しみやすくなります。池島小や八幡屋小、近くのお店でもポスターを掲示し、地域で小中一貫教育の実践がはじまりました。中学校の文化祭を小学生が見学したり、小学校と中学校の先生方が合同で研修会もします。2月に開催される港中の駅伝大会では、その春に入学する池島小と八幡屋小の6年生も参加し、PTAの方々の豚汁で一緒に温もるなど、小学校と中学校の連携が進んでいます。ちなみにオスの三毛猫が生まれる確率は3万分の1で、船に乗せると遭難しないという言い伝えもあり、古くから船の守り神だったそうです。「みにゃっと」が「みなと」の守り神になりますように!

数多くある港区の地域イベント。その先駆けとなった「池島ふれあいまつり」は、今年の11月23日(祝日)で38回目を迎えます。今では小学校の学習の一環として、子どもたちの文化発表の場でもあり、日々の成果を見てもらいます。この日のために合唱や合奏の練習をして、当日は池島公園に設置される、地域の方々による手作りの屋外ステージで披露します。近所のおじいちゃんおばあちゃんも楽しみに来られ、毎年6、000人以上の来場者で賑わいます。

 

先日行われた4年生の社会福祉体験学習では、地域のボランティアの方が38名も参加され、参加者数は港区内でもトップクラスだそうです。ふれあいまつりに限らず、地域の方と子どもが顔を合わせる機会が多く、小学校前の「あいさつ通り」の名のとおり、自然と挨拶も増えます。事件に巻き込まれないようにと、知らない人には挨拶しにくい時代ですが、町に顔見知りが多くなると安心ですよね!

 

 毎年12月に、八幡屋小学校の5年生が取り組むキッズマート。野菜や果物などの商品を実際に販売し、八幡屋商店街に子どもたちの大きな声が響きわたります。チラシ、看板の制作(図工・総合)やおつりの計算(算数)、お客さまへの言葉遣い(国語)、元気な挨拶(生活全般)、役割分担や段取りなど、実社会に必要なことを学びます。商店街の方々をはじめ、お客さまとなる地域の皆さんの協力のもと、子どもたちは緊張しつつも、大きな声でのびのびと接客します。

 

八幡屋小学校では、教科の枠を越えた、教科横断型の体験学習に力を入れています。校内にある八幡屋農園では、プチトマトやナス、ゴーヤやイチゴなどたくさんの野菜や果物を栽培したり、JA大阪市の方をお迎えし田植えの体験もします。民族衣装を身につけ、海外の遊びを通じて世界の文化に触れる、八幡屋ワールドフェスタを体育館で開催するなど、教科の枠にとらわれない体験学習で、子どもたちはアクティブに学びます!

 

2018年6月27日◆特集 わが町 今昔 知っトコ 第一回 小中学校のなりたち


今号から新たな特集「わが町“今昔”知っトコ」シリーズがスタートします!
港区の“今”と“昔”にフォーカスして、ご紹介していきます。
今回は、子どもと大人をつなぐ学校。
これから小学校や中学校に入学する子どもたち、在校生、
そして数年前~数十年前に卒業していった大人と、
誰もが同じように経験する環境は学校だけではないでしょうか。
港区には現在、小学校11校と中学校5校があります。
学校令、国民学校令、学制改革を経て今のような姿となりました。
今回は、港区の小中学校の変遷を辿ってみたいと思います。

存在感のある大きな校舎
昭和30年頃の市岡小学校(「港区誌」より)









2018年4月25日◆特集 わが町 知っトコ 第12回 市岡元町の巻

港区の最東部に位置し、戦後は鉄工の町工場で栄えました。
当時の子どもたちは、かつてあった境川運河に浮かぶ丸太の木材で遊んでいたそうです。
今では住宅街へと変わりつつある市岡元町のお話です。

 

 

2018年2月23日◆特集 わが町 知っトコ 第11回 港晴・田中の巻

安永7年(1778年)、
この地を新田開発した田中屋又兵衛さんに由来する田中と、元は八幡屋新田の一部だった港晴。
ともに安治川河口左岸に位置し、港湾労働者の住宅地として賑わった町です。
今回は、そんな田中と港晴のお話です。

2017年12月27日◆わが町 知っトコ 第10回 波除の巻

特集タイトル

安治川の発展に伴い、明治から昭和にかけて港湾労働者で賑わった波除。
港区全体を嵩上げした区画整理事業の後、市営住宅が建ち並んだ頃から住宅街へと変わってきました。
今回はそんな波除のお話です。
p3
地図
福祉会
藤かほり
あんがい
波除モンキーズ
パワーアーツ
内野くん
安治川

2017年10月25日◆特集 “わが町 知っトコ” 池島・八幡屋の巻

特集タイトル
みなトコ11.12月号 “わが町 知っトコ”は池島と八幡屋のお話です。
大きなアーケードのある八幡屋商店街。
地域主体のお祭りを先駆けた池島ふれあいまつり。
昔から人のつながりが濃く、地域の力で盛り上がっています。
今回はそんな池島と八幡屋のお話です。
港区地図
特集①
商店街
シンフォニー
入船温泉
マップ
FC八幡屋
住宅
池島ふれあいまつり
人物 坂之下
坂之下くん

2017年9月6日特集 わが町 知っトコ 第8回 天保山まつりの巻

特集タイトル 天保山まつりタイトル

明治元年(1868年)に開港し、今年で生誕150年を迎えた大阪港。 みんなで150歳をお祝いするために、大阪港にまつわる話をご紹介します。

特集P3

「明治・大正・昭和期の大阪港の絵葉書」より(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

「明治・大正・昭和期の大阪港の絵葉書」より(大阪市立図書館デジタルアーカイブ)

大阪市営交通100周年記念碑 (京セラドーム横の交通局敷地内)

大阪市営交通100周年記念碑
(京セラドーム横の交通局敷地内)

P4特集

今年で10回目を迎える天保山まつり。大阪港開港150年を記念して、今まで以上にバージョンアップ!
各エリアでのイベントやお店のブースも増え、見て、食べて、1日楽しめるイベントになりそうです!
そして、各エリアを地域の皆さんとゲストが会場を盛り上げます!港区内の大人も子どもも大勢の方が出演予定です!
皆さんのお友達もたくさん出演するのでお楽しみに!

 

※雨天の場合は、イベントごとに当日の状況で開催の有無を判断します
中止するイベントがある場合、当日の午前8:30までに公式サイト内に掲載します

 

p4地図

パレード・龍馬

p5サンセット広場

中央突堤

p5赤レンガ倉庫・まちなか

p6タイムスケジュール

 

2017年6月28日特集 わが町 知っトコ 第7回 磯路の巻

特集タイトル

第7回 磯路の巻

かつて港区にあった磯路橋(港郵便局付近)が地名の由来です。
元は住宅地でしたが、昭和初期に市岡パラダイスを中心に栄え、
パラダイス通りや商店街など、周辺は大阪有数の繁華街となりました。
今回はそんな〝磯路〟のお話です。

特集P3

特集P3さくら

市岡中 70周年①

市岡中②

三社神社

妙見さん

地図

 

赤丸食堂

篠原たたみ

健康マージャン

西さん

 次のページ