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2014年2月19日人見 絹枝(六)

昭和4年(1929)200mに24秒7、三種競技に217点と、ともに世界新記録を出した絹枝は、翌5年9月、チェコのプラハで行われた第3回万国女子大会に、村岡美枝・本城ハツ・渡辺すみ子・中西みち・浜崎千代の5名をつれ、監督兼コーチ兼選手として参加します。5名は日本女子体育専門学校(旧二階堂塾)の後輩で、記録は世界レベルには達していませんが、日本女子スポーツ界向上のため、無理してつれていったのです。
「狭い国内ばかり見ないでください。世界は広い。海外に出なければ、物事の本当の姿は見えてきません」
これが絹枝の信念でした。
この大会で日本の総合得点は13、世界第4位の成績を収めますが、リレーの1点を除くと全部絹枝ひとりで得点したものです。新聞に痩せこけた絹枝が、丸々太った5人の選手を人力車に乗せ、ひっぱっている諷刺イラストが出ています。

プラハのイラスト

大会が終わると絹枝たちヨーロッパを廻り、各国の陸上競技大会に参加します。渡欧費用の大半は借金で、返済のため出場手当てで稼いで支払わねばなりませんでした。もちろんどの国も絹枝が出場しなければ、承知しない。7種目も出た大会もあります。風邪で熱が高くても生理がきても、注射と薬で押さえて参加します。ベルギーで52対48で初勝利を得たときも、彼女は39度の熱があったと伝えます。

11月に帰国した絹枝は、カツオ節削り器でとことん削りとられたカツオ節の残骸のようでした。けれども休息は許されない。借金返済のため企業・自治体・女学校等の依頼で、講演をくり返します。薬、注射器、吸入装置持参でした。

毎日新聞にこんな記事があります。
「この日絹枝嬢は三田体育館で講演。午後は某小学校創立記念祝賀会に出席。ユニフォーム姿になり、模範演技を披露した。夕方は中央郵便局の研修講師を務め、スポーツは根性に非ず、科学的トレーニングが必要と力説、夜の慰労会は欠席し大阪放送局(JOBK)出演のため、夜行列車にとび乗った…」

ここまで過密なスケジュールをこなした理由は、なんだったのでしょう。もちろん借金の返済もあったでしょうが、日本女子体育の向上、男に負けぬ女の生きかたを、身をもって実証したかったからだと思います。しかし、それが死へのラストスパートになりました。(続く)