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2014年2月19日人見 絹枝(三)

大正15年(1926)二階堂女塾(現・日本女子体育大学)を卒業した絹枝は、大阪毎日新聞社に運動部記者として入社します。毎日は日本では初めて女子スポーツ欄を設けた新聞社です。
「人見くん、いいアイデアはないかね」
運動部長に聞かれた絹枝は、少し考えていましたが、これ、お役に立ちませんかと分厚いノートを出します。パラパラめくって部長は仰天しました。絹枝が今まで取り組んできた練習方法・結果や、記録から栄養の摂取まで、細かく記されていたのです。

人見絹枝

「こら新聞連載じゃもったいない。本にしよう」
となって出版したのが、絹枝の最初の著作『最新女子陸上競技方法』です。この中で彼女は、

「日本の社会は女子の運動機能をむしりとっています。だから日本女性の身体の貧弱なこと。ちょっと押すとへこんでしまいそうな、なよなよとした女を嫁にしたい男たちは、すぐにこの国から出ていってください」
「世間のうわさほどうるさいものはありません。しかし、いちいち気にしていては、大きな仕事はできない。大洋を泳ぐ鯨は、どんなものにぶつかっても、方向を変えぬそうです」
といった内容を書いています。
この年9月、スウェーデンのエーテボリで開かれた第2回万国女子オリンピック大会(当時オリンピッ は男子のみで、4年前に女子専用の大会が生まれる)に、絹枝はたったひとりで参加します。朝鮮からハルピンへ、シベリア鉄道でモスクワを経てヨーロッパに入る旅程です。外国語のできない彼女に通訳もマネジャーもいない。切符の買い方、食事の注文、宿の契約、何一つわかりません。さすがの絹枝も気苦労と孤独感で体調を崩しますが、それでも走幅跳び5m50の世界新記録で優勝、立幅跳びも優勝、円盤投2位、百ヤード走3位、総合得点15で、日本は世界第5位にランクされます。この大会は参加国出場選手数150、第1位のイギリスは25人で50点、第4位チェコは12人で19点です。日本は1人で15点ですから、大会委員会はびっくりして、絹枝に最優秀選手賞を贈りました。
「日本の女はけばけばしいキモノにゲタをはき、発育不良の小さな体でチョロチョロするものと思っていた。ところがヒトミは顔も塗らずカンザシもつけず、大股で歩いていた」
外国人記者はこんな記事を書いています。(続く)