わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月20日奥田弁次郎・フミ(二)

明治3年(1870)大阪府は千日前を道頓堀とセットにして繁栄させようと、千日前墓地を阿倍野に移転させますが、なにしろ人骨の混じる灰山(火葬したあとの遺灰を積んだ所)があちこちに残っており、手のつけられないありさまでした。

「火の玉が飛んでたで」
「なんとも言えぬうめき声が聞こえた」
「わいはこの目で幽霊を見た。ほんまに見たんやぞ」

と町雀どもが、真顔でうわさしたころの話です。

千日前墓地六地蔵

明治7年4月のある日、弁次郎はふらっと千日前墓地跡にやってきました。実は小学生の息子の徳次郎に、

「こら、ごんたばかりせんとちっとは勉強せえ」
と父親らしく説教したところ、

「父ちゃんかて働いたらどや。母ちゃん、いつも泣いてるやないか」
と幼い徳次郎が目をむいたのです。腹を立ててポカンと頭をたたいてとびだしますが、なんともいえず淋しくなり、歩き廻ったあげく墓地にたどりついたのです。頭の中のどこかに「葬儀屋の山田屋重助な。あいつ、三勝・半七(浄瑠璃で有名な心中事件の主人公)の追善供養やいうて、あやしげな遺品を墓地で売ってもうけたそうや」との香具師(やし)仲間から小耳にはさんだうわさ話が、残っていたのかも知れません。

ふと見ると墓地の手前に、一軒だけオンボロの茶店がポツンと残っています。墓地で法要のあったころ、休憩した茶店の名残です。留守番のばあさんが弁次郎に話しかけました。

「行くあてがおまへんね。そんでおるんやが客なんか一人も来まへん。なんでやろ、
あっちの道頓堀や心斎橋は、あんなににぎやかなのに。ここのあき地、もったいないと思いまへんか」
「そら思うけど、こんな気味悪いとこ無理や。お化けが出ると言うやないか」
「けどな、あっこの灰山、1坪50銭やで」
「へえー。50銭で買えるんやったら、まあ安いな」

弁次郎があいづちを打つと、ばあさんは笑いだします。

「あほやなあ。お上(かみ)が50銭つけて、タダでくれるんやで」

えっ! 銭もつけてくれるんか…弁次郎は思わずとびあがりました。(続く)