わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

みなトコ×みなとQ みなとQ編集室 06-6576-0505

2014年2月6日服部 良一 (五)

昭和23年(1948)幼女エイ子を抱え、困っていた元大阪松竹歌劇団の笠置シヅ子を起用した服部良一の作曲『東京ブギウギ』は、大ヒットをとばします。続けざまにこのコンビで、『ヘイヘイブギ』『ジャングルブギ』『ホームランブギ』『買物ブギ』『大阪ブギ』と新曲を出し、敗戦のショックで落ちこんでいた世相を、いっぺんに明るくしたのです。

服部 良一氏

なにしろ「あなたがほほえむときはラッキーカムカム」「ホイジャングルで骨のとけるような恋をした」「ひとつカンと打ちゃホームランブギ」「チョイトおっさんこれなんぼ」「ホンニソヤソヤそやないか 大阪ブギ」…といった日常生活と全く異和感のある歌詞に、日本にかつてなかったブギのリズムが快くおりなして、生きる勇気を与えます。
しかし「日本では稀な底ぬけに明るいエンターテナー」といわれたシヅ子は、暴れ回って舞台をおりたあと、
「楽屋でエイちゃんに抱きついて泣いてた」
と良一は語っています。
現在良一は、古賀政男と並ぶ作曲家だと評価されていますが、質は全く異なります。政男メロディのルーツは、哀調を帯びた朝鮮のエレジーですが、良一メロディの原型はアメリカンジャズです。洋楽的感覚が生命でした。
晩年彼はかなり思いきった発言をしていますが、ふしぎに敵がいない。よほど心が優しく人柄がよかったのでしょう。レコード大賞を制定、日本作曲家協会会長としても活躍します。交響曲『ぐんま』のような本格的クラシックも多く作曲し、生涯の作曲総数3千5百をこえるといわれます。平成5年(1993)86歳没。国民栄誉賞を贈られています。
ところで良一に、昭和21年(1946)コロンビアから出した『大阪復興の歌』というのがあるのを、ご存知でしょうか。これは大阪市とJOBKの後援で制作したもので、当時の№1歌手霧島昇と松原操夫妻のデュエットです。歌詞の一部をあげておきます。kashi

どなたか歌える方おられませんか?(終わり)