わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月21日吉本 せい(五)

大正7年(1918)せい・泰三夫婦が法善寺(中央区)に設立したコヤ「花月」の最大の売り物は、お茶子(客席のサービス係)です。資料によれば、黒繻子(じゅす=光沢のある織物)の襟に八反掛(八丈島特産の絹の綾織物)の帯、赤い前垂(まえだれ=エプロン)の制服姿。髪はミセスが丸髷(まるまげ)、ミスは新蝶々(蝶が翅を広げたような形)で、とびきり粒揃いの美人揃い。にっこり笑いながら席の案内や茶菓子の接待をして、客を王様気分にさせます。ミナミの高級料亭のべっぴんさんに負けへんで…が、せいの口ぐせでした。
演目は桂派の協力もあって桂枝雀らの人気落語家がメインですが、吉本興業の特色である百面相の右楽や尺八の扇遊、軽口(かるくち=声色や身ぶりの真似芸)の団七といった色物もまぜて入場料がたったの10銭。

この低料金と大衆性も受けて、花月は法善寺の名物になっていきます。
驚いたのはミナミを仕切っていたコヤ紅梅亭です。こちらは落語ばかりで25銭。
「素人のオナゴはんが無茶しよる。上方の芸能を投げ売りするつもりかいな。そんならこっちはほんまもんの芸、見せたろやないか」
三遊亭円馬桂文団治など大物の真打ちをずらりと並べ、入場料を60銭に値上げ。さらに色町の粋筋(いきすじ)の旦那たちに「女づれでおこしやす」と声をかけます。60銭も払えば芸者衆に大きな顔ができる。さあ花月が勝つか紅梅か…と町雀たちは煽りたてました。

せいは切り札をだします。芸人たちの月給制です。興行界の常識は、客の払った入場料をコヤの所有者と出演者たちが山分けするのが慣習で、不入りのときは収入減になります。ところがせいはハナから、あんたはなんぼ、あんたならこんだけと決めておき、客足にかかわらず契約した給料を毎月払う仕組みにしたのです。
こらおもろいと、三遊亭円遊桂小文枝笑福亭松鶴ら有名な落語家たちも、花月の舞台にあがってくれます。さらにせいはめだちたがりで嫌われ者の桂春団治(本連載214回~219回参照)や、個性派の浪曲師広沢虎造・伊丹秀子らも、ウチとこおいでと誘いました。
芸歴・年齢・性別・師匠筋などを、重視した芸能界の古いしきたりにもこだわらない。漫才から手品、曲芸から剣舞、安来節までなんでも舞台にのせて客層を広げます。 (続く)