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2014年2月6日山川 吉太郎 (三)

大正13年(1924)、東京の日活や松竹に負けるものか、活動写真(映画)界に大阪の底力を見せてやると意気ごんだ帝国キネマ(帝キネ)社長山川吉太郎は、宝塚少女歌劇の無名の生徒、16才の少女沢蘭子を起用して、青年脚本家佃血秋(つくだちあき)に思いきり悲しいホンを書けと命じます。
世間にもれたらあかん、はよ書けとお尻をたたかれた春翠は、徹夜してたったひと晩で映画史上に名を残す「籠の鳥」を書きあげます。資金の乏しい吉太郎は、浜寺と嵐山をロケ地に選び、これまたたったの7日間で完成させました。費用はわずか3千円です。
同年8月、吉太郎は帝キネの直営館にしていた芦辺劇場と、九条(西区)の高千代座で封を切りますが、おそろしいほどの反響となり観客が殺到し、入りきれない人たちが劇場をとりかこんで順番を待つありさまとなりました。

沢 蘭子

筋は実に単純明快です。まず蘭子の扮する船場のいとはん「お糸」が窓に寄りかかり、伏目になって得意の憂いにみちたもの悲しい表情をします。無声映画の時代ですから、説明は弁士の高橋鶴瞳(かくとう)が、思い入れよろしく美声をはりあげます。
「お糸は恋しい文雄との仲をひきさかれ、心すすまぬ親の縁談を断ったため、いまは一室に監禁されておりました。文雄に出した速達の手紙の返事も来ず、望みもついに絶えはてて、うつろに見上げる目の前の、軒に下がった鳥籠の、中の小鳥は哀れな姿、哀れなれどもそれはつがいの比翼鳥、されどお糸はひきさかれ、破れし恋の痛手を胸に、泣いて嫁ぐか片羽鳥、切なる思い血を吐く叫び、声しのばせてこの思い、恋しき人に届けよと、文雄さん、文雄さーん、愛(いと)しき人の名を呼べば、答えるように誰やらが、歌って通るこのメロディ…」
そして舞台の袖から楽師が悲しい音色でバイオリンを演奏し、女性歌手がか細いソプラノで歌うのです。
「あいたさみたさに こわさを忘れ 暗い夜道を ただひとり…」
するとバリトンの男性歌手が、
「あいにきたのに なぜ出てあわぬ いつも呼ぶ声 忘れたか…」
と、応じます。
これだけで客席のあちこちから、すすり泣きがおこりました。(続く)