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2014年2月7日ボードウィン (三)

緒方惟準(これもり・洪庵の次男)と、蘭医ボードウィンが開いた大阪最初の医学校兼治療所「浪華仮(かり)病院(天王寺区上本町4丁目・大福寺境内)」には、全国からとびきりの秀才、40名の若者が集まります。
当時の時間割は次のとおりです。
「午前6時~8時 講義緒方惟準 8時~10時 講義ボードウィン 10時~12時 入院患者診察 午後0時~5時 外来患者診察 6時~8時 講義緒方惟準 8時以後 各自予習復習」
ものすごいスパルタ教育ですね。休憩や食事の時間はとってはいませんから、各人あいたときにあわてて済ませたようです。
「まごまごしておると食う物にありつけぬ。よって汁かけ飯大繁盛」
と記されています。いつ寝たのかもわかりません。

浪華仮病院跡碑

もうひとつ驚いたのは前回書いたように、ボードウィンはヨーロッパでは5本の指に入る眼科の権威ドンデルス博士の愛弟子です。ところが浪華仮病院での講義内容は、すべて性病の治療と感染を防ぐやりかたばかりでした。明治2年(1869)講義はまとめられ『日講記聞』訳・緒方惟準)と題して刊行されていますが、それを読むとどんなに当時の日本人が性病に無知であったか、またどれほど蔓延(まんえん=広がること)していたか、あきれるばかりだといわれます。
もちろん本職の眼病治療も卓越(たくえつ=ずばぬける)していました。浪華仮病院の設立は、当時大阪で流行していたトラホームを心配して、明治天皇が公立病院を設立したらと府知事に話したのが起こりですから、多くの眼病患者が押しかけます。
「大福寺へ行こ。異人さんが魔法で目をあけてくれるで」
といった噂が広がります。
ボードウィンの繁忙さは、ことばではいえないほどでした。そんなに働いて給料は、たったの月額75円です。この時代、多くの西洋人が来日して新しい文化や科学技術を教えましたが、誰もが給料と労働時間にきびしい条件をつけます。1日6時間勤務、月5回の休日、土曜日は午前中のみ、月給200円以上…これが最低条件です。今ならあたり前ですが、西洋人は利己的だ、わがまま、勝手すぎると嫌われた理由のほとんどがこれです。
ところがボードウィンは、薄給も超過勤務も、ひとことも文句をいいませんでした。(続く)