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2014年2月7日E・ハンター (二)

「あんさんは娘あいの命の恩人です。そやが結婚だけはこらえてくだされ」
あいの両親は土下座してこういいましたから、さすがの大男、キルビー商会の営業マンE・ハンターも、泣きべそをかきながらあきらめようとします。
けれども、あいはひるみませんでした。あんなに親に従順でおとなしい色白の小柄ないとはんの、どこにこんな激しい情熱がひそんでいたのでしょう。彼女は家をとびだし、なにも持たずにハンターの胸にとびこんできたのです。
明治12年(1879)ハンターとあいは、キルビー商会から独立し、此花区西九条7丁目に「大阪鉄工所」を創設、母国のイギリスから優秀な技師を招いて機械の製作事業を始めます。ところが明治政府が赤字解消のため緊縮財政をとったから経済界は大不況におちいり、大阪鉄工所は倒産寸前になります。なにをすれば当たるだろう…ハンターは悩み苦しんだあげく、
「日本は島国だ。外国と交流して国際市場に参加するには、かならず船が要る」
との結論に達します。

ハンター

ハンター

明治14年(1881)キルビー商会から莫大な融資をとりつけたハンターは、思いきって大勝負に出ます。大阪鉄工所を朱色のレンガづくりの洋式造船所に改め「OSAKA IRON WORKS」の大看板を掲げ、
「造船 陸用諸機械 架橋 耕作用ポンプ其他大小諸鋳物ノ製作・修理ナド 各位ノアラユル需要二
応ズ工場見学大歓迎」
との内容のパンフレットをまき、6馬力の蒸気機関、スチームハンマー、旋盤など、まだ日本にはなかったイギリスの最新式機械を並べました。
当時は船といえば帆船です。蒸気機関を用いた西洋式鉄鋼船は、誰にも想像がつきません。価格もけたはずれに高いので注文はなかったのですが、幸運なことに大阪港の工事が始まります。大阪府がためしに浚渫船(しゅんせつせん=水底の泥をとる)2隻を発注したところ、すばらしい能力を発揮、こりゃすごいと運送船も頼みます。
これが日本初の鉄艦「共立丸」です。
さらに日清戦争、続いて日露戦争がおこり、政府から優秀な軍艦を大至急作れと矢の催促がきます。さあ、ハンターは働きました。大量の従業員を雇い、びっくりするほど高額の給料をはずみます。労働者が殺到しました。 (続く)