わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月7日ミス・ワカナ (三)

帰国したワカナは、夫玉松一郎の才能を次々にひきだします。漫才界初めての「漫才ミュージカル」とでもいうべき新しい芸能ジャンルの創造です。これは新派の名台詞(せりふ)あり泣かせる浪曲あり、ラブシーンからチャンバラごっこ、都々逸(どどいつ)が入るかと思えば一転して映画説明、歌舞伎・浄瑠璃のさわりなどを、器用に演奏する一郎のアコーディオンに合わせて小柄なワカナは、全身を使って熱演しました。
ワカナ・一郎の夫婦漫才が全国区になるのは、NHKのラジオ出演がきっかけですが、このコミカルなミュージカルが電波にのりやすかったからです。当時のラジオは現在のテレビより、はるかに威力を発揮していました。

玉松一郎とミス・ワカナ

「ラジオでおなじみのワカナ・一郎」
と司会者が紹介するだけで、会場はわあっと沸きかえります。2人の人気は今やかけだし時代の貧乏ぶりからは、想像もつかないほどの急上昇でした。
昭和10年(1935)2人は初めて出会った懐かしい大阪へもどってきます。大阪ではエンタツ・アチャコ(本連載132~138回参照)がブームになっていましたが、ワカナはこの超人気コンビに挑戦します。和服が常識だった舞台にエンタツ・アチャコが洋服姿で上がりますと、ワカナも洋服で登場します。初めて洋服で出演した女性の芸能人は、ワカナだと私は思っています。しかもエンタツがパリッとした英国製の上等背広を着ますと、ワカナはなんとふだん着で出たのです。プライドの高いエンタツが高級漫才だといったのを嫌って、あくまでも庶民派に徹したかったからです。
このころからワカナ・一郎漫才は、ミュージカルコメディ型をやめ「生活型」に変わっていきました。夫一郎との家庭生活、2人のなれそめからかけおち、青島(ちんたお=中国シャントン省)での悲惨な生活、さらにご近所の暮らしむき、つまりどこにでもある当たり前のネタを、独特のペーソスをまぜて語ります。客席は思いきり笑いころげたあと、思わず涙がにじむほどしんみりした気分になり、心から共感の拍手を送りました。
エンタツ・アチャコが今までの古くさい万才を一掃した知的な「喋くり漫才」の創始者であることは確かですが、庶民のごくありふれた実生活をネタにして客席を沸かせたのは、ワカナ・一郎です。こうして大阪は漫才の本場となりました。(続く)