わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月7日ミス・ワカナ (二)

大正13年(1926)大阪からかけおちした22才の玉松一郎と16才のミス・ワカナは、大阪駅から列車にとびのり、広島で下車、場末にあった演芸館に泣きつき、舞台に上がって漫才を演じます。といっても全くの素人、ワカナがひとりで喋りまくり、一郎は借りたセロをひきながら、ときどきあいづちを打つ程度で、さっぱり売れません。
それからの2人の生活は、お話にならないほどみじめで哀れな毎日でした。野良犬のほうがもう少しましだったでしょう。それでもワカナは底ぬけに明るく、ひっこみ思案の一郎を励まし、
「な、外国に行こ。外国ならウチらを有名な芸人やとまちがいよるかもわからんで」
と笑顔で誘います。いいだしたら誰がなんといおうと聞く耳持たぬワカナです。今度も渋る一郎の腕をひっつかみ、中国大陸へ渡り、日本人の多かった青島(ちんたお。シャントン省)の舞台に立ちました。

玉松一郎とミス・ワカナ

なつかしい日本を話題にし、童謡を歌って踊る少女妻に好奇心が集まり、少しは芽が出かかったとたん、一郎が病気で倒れます。
「おカネいるさかい、かんにんして」
ワカナはあやしげなダンスホールに勤め、酔客どもにからまれながら必死になって医療費をかせごうとします。
2人は小さな民家の2階に下宿していました。病人の一郎は手に長いロープをくくって窓からつりさげ、深夜に疲れて帰宅したワカナがひっぱると、ねぼけまなこではいながら階段をおり、ドアを開けます。
「あけたら誰もおらへん。変やな思たらワン公でした」
のちに一郎はこう笑っています。
ことばではいえぬ苦労を重ねたワカナですが、人生、なにが幸せになるかわかりません。ワカナはここで独特のタップダンスを身につけ、これが人気漫才師のスタートになるのです。
やがて回復して舞台に上がった一郎のアコーディオンに合わせて、ワカナは珍妙なステップを踏みました。
ワカナ「うまいですね。天才ですわ」
一郎 「いいえ。それほどでもございます」
ワカナ「このどあほ!ウチのダンスやんか」
このネタは爆笑また爆笑、大いに受けました。こうして中国で得た人気をひっさげて大阪へ2人はもどってきたのです。(続く)