わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月7日最終ラン

「人はギリギリ何かの瀬戸際に立たされた時、〝宗教人〟 になるか、〝芸術人〟になるか、どちらかに分かれるようです。(中略)」(『続・悩む力』姜尚中著 集英社新書 2012年より)
こんな一文と出会った。著者はアメリカの心理学者、ウィリアム・ジェイムズの見解に触れている。徹底的に自己否定して、地獄のような苦悶の中に落ち込むタイプを 〝宗教人〟 。
絶対的に自己肯定して、それを作品表現として昇華するタイプを 〝芸術人〟 と述べている。
この紙面に綴ってきたイチ個人の小さな記。自己満足に過ぎない想いを、文章にしたためて表現の道をたどってきた。こうした方向性を持てたのは、夫の最終ランに、命の伴走者達と共有したかけがえのない時間を授かった賜物である以外何物でもない。

「これが癌細胞であるならば、夫の身体からすべて流れ出てきて…。」
逝く前日から、胃ろうの穴を伝って出てくる大量の出血におののいた。そんな一方で、こう願う自分もいた。
「今日がさよならの日かもしれません…。呼吸が変化したら病院と救急車手配の連絡をしてください。」
夫には聞こえない空間で、訪問看護師さんからそっと告げられた 〝逝く予定〟。今まで味わったことのない重量であった。いや、重さも軽さも何も感じられない…。そんな表現が適切かもしれない。与えられた夫と紡げる時間への見通しは、悲しみを遥かに卓越した気持ちへと転化した。生まれて初めて抱く荘厳な面持ちで、〝家での最期〟 という貴重なひと時を授かるに至った。ikikata_18_a

駆けつけた命の伴走者達との最終ランが始まった。夜勤明けのNさんも飛んで来た。
夫の兄が馴れ親しんだカミソリで、丁寧に時間をかけて髭剃りを施した。剃りあとに手を持っていくと、心地良い感触をじっくりと掌で味わっていた。
九千㎞離れた海の向こうに住む義兄弟家族への国際電話。ありったけの力で受話器を握り、うなずきながら、声にはならないやりとりを交わしていた。
割りばしにガーゼを巻き、大好きだったかき氷シロップのブルーハワイを含ませて、唇をしめらせる。味覚を感じられる喜びを笑顔で示していた。
幼少期に一度は決別したオムツでの排泄。困難さを手招きサインで表現してきた。
身体は動かなくとも、こころや五感は生きている…。渾身の力を込めた表現と、それに応答できる最後の至福のコミュニケーションの時間であった。

「海野さん、大きく息を吸って、吐いて!」
Nさんの大きな声が静寂を破った。と同時に、人がこの世に生を受ける瞬間と同様の掛け声が鳴り響いた。息を引き取る…。この言葉通り大きな呼吸をしたかと思うと、瞳を鱗が覆っていくかのように見えた。生きている五感を信じて、皆で身体をさすり、名前を呼んだ。
「人間は死ぬまで生きられる。単純だけれど死ぬまで生きる力がある。これが癌を克服するというこ。」(鳥取県・野の花診療所 徳永進医師の言葉より)
最初はピンとこなかったこの言葉を、このひと時で体得した。ikikata_18_b

〝全身全霊〟 という言葉がある。夫の 〝生き方と逝き方〟 に出会い、この言葉は一生に一度だけしか使えない重厚な表現であることを知らされた。文字通り、身体と魂がうなるような生き方と逝き方に、人間が生まれて最期を迎えるまでの命の尊厳さを、初めて教えられた。
たくさんの方々と共に駆け抜けた最終ランまでのプロセスは、今の私をも支え続けている。(終い)