わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2015年4月23日大阪市長物語 (十四)

昭和6年(1931)4月、淀屋橋北詰の土佐堀川底地下鉄工事で、突然猛烈な濁流が吹きだし、あたりを海底のようにした前代未聞の大事故で、責任者の7代大阪市長・関一はマスコミは無論、工事反対派の住民たちから非難の総攻撃を受け、窮地に陥ります。その彼を救ったのが、京都帝国大学名誉教授田辺朔郎です。朔郎は原因を究明する「工務審査会」の記者会見で、
「突然地盤からニュウが出た。これは予測不可能な現象だが、これだけ出てしまえばもう大丈夫だ。私が保証する」
と、断言します。
ニュウとは何だ?とくいさがる記者団に、水分を多量に含んだ異常な泥の帯だ、心配は要らぬ、工事は続けてよろしいとうなづいてみせます。なにしろ土木工事の神様といわれた第一人者の説明ですから、まあ予測不可能なら仕方あるまいと関市長の責任問題は、うやむやで終わりました。ニュウとは朔郎がとっさに思いついた言葉で、のちに地下からいきなりにゅーっと出てきたからニュウだと大笑いしたそうです。嘘も方便というが、呑気な時代ですね。
6月5日には高麗橋近くの工事現場に荷馬車が転落して2人死亡。また賃金格差に怒った鉄筋工たちがストライキに入るなど、次々にトラブルが続出。そのたびごとに、
「坊ちゃん学者市長が、大金はたいて墓穴を掘っとる」
と悪態をつかれました。

地下鉄工事

地下鉄工事

とても書ききれないほどの苦労を重ね、ついに同8年5月20日、梅田―心斎橋間大阪初の地下鉄が開通します。試乗した人たちは豪華な設備とスピードに驚嘆し、あれほど攻撃したマスコミも口をぬぐって、
「夏は涼しく冬暖かい。走る便利な温泉電車」
ともちあげたころ、は関係者を地下道に招待し、ビールをついで回っていました。
御堂筋もの英断です。大阪市のメインストリート御堂筋は、大正15年(1926)から12年かけて彼が心血を注いで切り開いた市の中心地キタとミナミをつなぐ大動脈です。助役のころから大阪駅を起点とする幹線道路の必要性を痛感していたは、市長になるやそれまで「淀屋橋筋」といわれていた細い商店街筋を取り壊し、全長4.4km、道幅43・2m、コンクリートとアスファルトの用地44万7千余㎡もの巨大道路建設を企画します。   (続く)