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2014年2月10日点滴ライフ?! (2) 「ケア」という意味

「ケアは己の感情との戦いです。ケアでわき上がるマイナスの感情に、あるがまま向き合うことが要求されます。(中略)こころの中に苦しみや悲しみを抱き続けると、その感情はもっと大きくなり、ケアの対象者に直接向ってしまうのです。」(『希望のケア学 共に生きる意味』 渡辺俊之著 明石書店より)
夫と始まった二人三脚の点滴ライフから、初めて「ケア」という本当の意味、深さに気づかされた。 「ケアは決して一方通行ではない。」ということも…。

助けられた一冊です

〝点滴に始まり、点滴に終わる。〟 退院後の私たちを待っていたのは 〝点滴の支配〟 であった。
「奥さん、気負わずにね。」
「ボチボチとね。」
退院時にたくさんの看護師さんや主治医からかけられた言葉の数々。これらの真意を本当に実感したのは、退院後からひと月という歳月がたつ頃であった。
翼状針を夫の身体に刺す緊張感からは解放されたものの、依然として、点滴輸液と薬の混合や点滴の時間管理が課せられていた。

24時間点滴を調整する
ポンプです

夫の就寝時間を見計らって睡眠剤を落とし始めると、コクリと寝入る姿から、自分の落ち度ひとつでえらいことになってしまう…。
そんな行為と薬に対してさらなる責任感に苛まされ始めた。点滴が終わると夜中に差し替える。夜中の差し替えを避けたければ、夫の就寝時間を早めなければならない etc.
ちょっとした寝不足が溜まっていたのかもしれない自分。四六時中、身体にまとわりつく点滴や胃ろうチューブの数々に自由を奪われていた夫。そんな互いの状況に負の情動が積もり、感情を抑えきれなくなって、ついに爆発!

「しんどい…。」と私。
「もう、延命はせえへん!」と夫。

どこに行くのも一緒点滴たち…

どんな時も決して口にしてはいけない言葉を発してしまった自分への罪悪感に襲われながら、心の中に押し留めていた気持ちが一気に噴出するのを抑えきれなかった。

〝しんどさ〟 を決して我慢していた訳でもなく、周りから「大変でしょう、がんばってね。」の言葉にも負担を感じている訳でもなかった。今、振り返ると、どこかで互いに気を使い合いながら、無理をしていたのかもしれない。
こんな時期に出会った渡辺俊之さんの『希望のケア学』。前述のリードで紹介した4行は、まさしく自分の心の的をついていた。自己感情とあるがまま向き合えず、ケアの対象者である夫に感情の鉾先を向けてぶつけてしまっていた。

この著作と出会い、自分が夫のケアをしているなんて思う心が、傲慢であるとも気づかされた。
幾ばくとも知れない人生の締め切り日を胸に、健気に生きる夫。…ケアをされていたのは私自身であった。

「爆発の後は、今までとは違った方向で、前に歩んでいる私たちがいる…。」
…こんなふうに綴っていたその頃の自分がいた。(続く)