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2015年4月23日大阪市長物語 (十五)

大正15年(1926)7代大阪市長関一は、淀屋橋筋と呼ばれていた細い商店街を大拡張し、大阪の中心地キタとミナミをつなぐ大動脈の幹線道路建設を企画します。 「路面に電車は走らせるな。高速車道・緩速車道・グリーンベルト・歩道の4線に区画する。街路樹を多くして、照明で美観を添えること」

関一

関一

これが基本方針ですが、総工費3千4百万円也と見積もられて、誰もが目を回しました。 「学者センセ市長、大阪のド真中に飛行場を作りよる」 と各新聞社まで揶揄(からかう)します。 最大の難問は用地買収です。今とは違って所有者の意向などに聞く耳持たず、 「お国のためや。どいておくんなはれ」 の一点ばりです。価格も市が一方的に査定し、代替用地が要るなら世話しまっせと申込み用紙を突きつけるから、これではスムーズにはこぶわけがない。とりわけ難渋したのは道が船場を貫通することです。この地域には昔から先祖伝来の土地と暖簾を守り続ける老舗の商家が多かったから抵抗も激しく、 「ここはな、天皇様が大阪に行幸されるとき、お通りになる大事な道や。あんた、なにわっ子が不忠やと笑われてええのんか」 と役人に言われて、ご先祖さまに申し分けないと、土蔵で首を吊る人まで出る大騒ぎとなりました。 「公共事業は大勢の個人の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。個人を不幸にして社会は幸せを享受する。なんたる自家撞着(言動が矛盾すること)だ」 いつもこう嘆いていたは、商都大阪の発展のため強行した地下鉄と御堂筋の二大工事で、マスコミから悪魔のような冷血漢だとたたかれます。 ここで話題を変えて、その御堂筋の名物銀杏並木にふれておきます。文化勲章受章者大仏次郎(小説家=代表作「鞍馬天狗」)が書いた「風船」に、 「(御堂筋の街路樹に)銀杏を植えたのは誰だろう。いずれ名もなき小役人が決めたのであろうが…」 とある部分にカチンときたからです。アイデアを出したのは大阪市計画部調査係長伊東俊雄です。彼は東京帝国大学出身の若手官史で、市長に招かれて大阪へやってきました。計画部では連日会議を重ね、街路樹を何にするかで、口角泡をとばしています。(続く)