わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月10日〝食べる〟ということ 「とにかく食べなさい期」

余命宣告を受けてからの一年十か月。〝食べる〟ということが生きることと、どんなに密接につながっているのかを、夫は身をもって教えてくれた。
「とにかく食べなさい期」「食べたくともたべられない期」「食べることを乗り越えてしまった期」
こうした三つの時期の夫の生き方から気づかされた〝食べる〟ということを振り返ってみたい。

がっつり“病院食”

「先生、僕、胃が悪いのにこんなに油っぽいもんや、こってりしたもんを食べてもいいんですか?」
入院中のこと。目の前に並んだ料理の数々を見て、ポツリと夫が主治医にもらした言葉であった。から揚げ、煮込みハンバーグ、ビーフシチューetc.夫の大好物ばかりである。しかしここは病院。胃は残されたといえども、手術後3日目。食べたい気持ちと、食べても大丈夫なのかという自然な疑問の狭間で揺れていた。

いつもと変わらぬ“食”を
共にできる喜び

「海野さん、とにかく食べてください。」
あっけない、予想外の返答が主治医の口から発せられた。
「今のうちにしっかり食べて体力をつけてください。」
思わず、夫と顔を見合わせた。なぜかストーンと心に落ちてこないもの、ちょっと絡まる心の機微を互いにひた隠した。複雑だったけれども、ただ単純に〝食べられる〟という現実を夫と喜んだ自分もいた。
そんな一方で、主治医の表情の奥に一瞬厳しい眼差しも感じた。その厳しさが何を意味しているのかは、その時は知る由もない私たちがいた。

「とにかく食べなさい。」と言われても、今までと変わらぬ、いやいや変えられぬ〝食〟 が存在した。生まれて今まで暮らしてきた中で、家族と培ってきた食習慣。結婚して互いに創ってきた食生活。脈々と流れてきた長年に渡る 〝食〟を淡々と続ける私たちがいた。
〝食べられる期限〟を言い渡された分、食に対して丁寧に向き合うようにはなった。
〝贅沢〟でもなく〝自然食回帰〟でもなかった〝食〟を共に出来ることへの喜びを料理と一緒に噛みしめていたような気がする。

食べるぞー退院後に新調した-がっつりスープ椀

飽食の時代と言われて幾久しい。そんな中、いつ時なん時にでも、食べたい物を食べられる環境がある。一方では〝個食〟〝孤食〟という言葉に込められた現実もある。
そうした中で提示された
「とにかく食べなさい。」の言葉によって、改めて立ち止まることができた〝食べる〟 ということ。

「何を食べるのか」でもない。
「どう食べるのか」でもない。
…食べていたのは、食卓を囲む互いの空気だった…。(続く)