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2014年2月10日抗がん剤治療という選択 (その2)

背広をハンガーに丁寧にかけて、きりりとした姿勢で椅子に腰かける人。ぬいぐるみにカツラを預けて静かに瞳を閉じる人。カーテンの向こうから深い呼吸音が聞こえてくる…。そんな患者さん達を真摯な姿で対応する看護師さん達の眼差し。
化学療法室はどこか神聖である。淡くて温かみのあるアプリコットカラーのカーテンにくぎられた空間。お日様の光もたっぷりと注ぎ込まれている部屋でもある。ここに足踏み入れる人々の表情はみんな真剣である。抗がん剤を打ちながら、自らの命と真っ向から対話する人たちの気迫と、それをあるがまま見守る医療現場のスタッフが生み出す空気なのかもしれない。

海で祝った抗がん剤治療
第2クール終了。

もうこれ以上、抗がん剤治療を施せないという状態までに一年半の月日が流れた。治療は同時に抗がん剤による副作用との向き合い期間であったといっても過言ではない。

体重計に乗って、毎日小さな数値の変化に一喜一憂するかのごとく、抗がん剤治療クールごとの血液検査結果表に穴が開くほど見入る夫の姿があった。
抗がん剤は劇的に腫瘍マーカーの値を下げた。成績表をもらって喜ぶ子どものように、屈託のない笑顔でその数値とにらめっこする夫。しかし、喜びは束の間であった。 第3クールを迎える頃、そんな夫の姿をあざけ笑うかのように、容赦なく静かに副作用が忍びより始めていた。

副作用で髪がすべて抜け落ちる前に自ら剃髪!

本人も他者からも一目でわかる脱毛という切ない視覚的副作用。吐き気や便秘、手足のしびれや全身倦怠感といった本人しかわからない、やるせない副作用。他の臓器にも機能障害を与えてしまう威力的な副作用。
中でも一番苦しかったのは、そんな副作用が心にもたらす負のスパイラルだったかもしれない。精神的に不安や死に対する恐怖感でさいなまされると、そこからの脱出はなかなか容易ではなかった。

命と対話する化学療法室

両天秤にかけられたような、がん指数減少への喜びと、副作用による苦しみの中であえぐ一年半であった。もがきながらも抗がん剤治療はいつしか生きるすべとなり、望みの綱となっていたことを夫の言葉の端々から感じられるようになった。

「海野さんの生活が、抗がん剤でこんなに苦しめられるのであれば、無理に打たないで一週あけましょう。」
「先生、僕、生きたいんです。打ちます。」
主治医とのやり取りの狭間で、夫の生きる底力を感じた瞬間であった。命を懸けた人生最後の、究極の自己選択に対する気迫をも感じた。

信じていたこと。 願っていたこと。

この気迫こそが、夫の生を導くものであることを…。(続く)