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2015年4月22日大阪市長物語 (十七)

7代大阪市長関一は、清貧に甘んじた市長としても有名です。宴会嫌いの接待下手。公私の別がやかましく、役人たちが公費で処理しようとすると、雷を落としました。そのくせ中央政府との折衝で上京したおり、成功して思わぬ補助金をとりつけると、大喜びで同行した部下たちをつれ、赤坂のとびきり上等の料亭で慰労会を開きます。
思いきり楽しく遊んだあと、手渡された請求書を見て秘書がとびあがりました。金185円也と書かれていたのです。

関 一

関 一

「市長、交際費で落としてよいでしょうか」
恐る恐る秘書がお伺いをたてると、
「なにを言う。これはボクのみんなの働きに対する感謝の気持ちだ」
と、さっさと用意しておいた自分の財布で支払いました。は死亡したとき、莫大な借金を残していますが、そのほとんどはこうした費用に当てたからです。少しでもごまかして自分らの飲み食いに使おうと画策する今のお役人たちに、彼の爪のアカでも飲ませてやりたいものです。
ある日、公用車が関の出勤を迎えに行くと、子供が高熱をだしていました。途中に病院があります、ご一緒にと同行を勧める運転手に、
「いや、子供は市政とは関係が無い」
と即座に断っています。堅物もここまでくると困りますね。
彼の自宅は上本町8丁目(天王寺区)にありましたが、もちろん借家。蔵書の他は家具も乏しく、来客用の粗末なソファーと柳の木の椅子があるだけでした。
あるとき、前回紹介した御堂筋工事の片腕、都市計画係長の伊東俊雄が、緊急の用件が生じ日曜日に市長宅を訪問、話が長くなりました。
「まあ昼食でも済まし給え」
と奥さんに出させたメニューが、なんと素うどんと麦飯だけ。それをうまそうに食べておかわりする市長に、俊雄はなんとも言えぬ気持ちになったと、のちに語っています。香の物も無かったそうです。
三女光子さんの婚礼はすこぶる簡素で、披露宴も無く、親族数名が同席しただけであった。光子さんのお荷物は、近所の手車を借りてきて軽く運んだだけで、これが大大阪の市長令嬢の嫁入り道具とは、とても思えなかった。さすがの関さんも涙をいっぱいためながら、右手を着物の帯にさしこんだまま、無言でうつむかれていた(金子金次郎『関市長小伝』から)。          (続く)