わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

みなトコ×みなとQ みなとQ編集室 06-6576-0505

2014年2月10日余命宣告って…。(その1)

「〝締め切り〟や〝期限〟があるからこそ、人はそれをバネに前に進んでいる。 〝死〟は人生最大の締め切りである。」
佛教大学文学部教授であり俳人でもある坪内稔典は、6月3日の産経新聞、文化面でこんなことを述べている。同感の念を抱いたのと同時に〝余命宣告〟を受けたあの日のことが鮮明に浮かび上がってきた。何ら〝大きな締め切り日〟を意識することなく過ごしてきた日常のすべてが一変した。
「〝今〟経験していることは、後にも先にもできないんだ。」日常生活への心意気が高まったのと共に、人生最大の締め切り日に対する不安や恐怖感に苛(さいな)むようにもなった。
「余命宣告って…。」 この時から始まった漠然としたこの問いに思いを交錯させてきた自分を振り返ってみたい。

お日さまも応援にかけつけた手術日の朝

お日さまも応援にかけつけた手術日の朝

「海野さん、手術が終わりました。主治医から説明がありますので、あちらの部屋にどうぞ。」
病室で待機していた私に看護師さんが呼びに来た。
「おかしい…。」 とっさに大きな胸騒ぎを覚えた。午前9時、自分の足で元気に手を振りながら手術室の向うに消えて行く夫を見送ってから2時間半しか経っていない。確か手術終了は午後3時と聞いていた。混乱する頭と重い足取りで病室を出ると、丁度今しがた駆けつけた父が立っていた。
「千波、ご飯でも食べてこいや。わしが交替で待っとくから。」
「父さん、もう呼ばれてん。」そんな短い言葉で応えるのが精一杯の自分がいた。

訳も分からぬままの父と医師達の前に並んだ。夫の癌は他の臓器にも転移して広がっていくこと。転移している臓器を摘出することは大きなリスクがあること。etc、主治医は言葉を選びながら真摯な態度で、丁寧に図式で説明をくださった。少しの間があった。それが次に何を言わんとしているのかが伝わって来た〝余命宣告〟であった。今まで味わったこともない心や身体の揺れを感じながら、何か白いもやの中にいるような感覚を覚えた。

説明が終わり、部屋を後にしてから泣いた…。泣くことで言葉にならない複雑な感情を表出していたのかもしれない。沈痛な面持ちの父が傍にいたからこそ泣けたのだとも思う。偶然ではあるけれど、絶妙なタイミングでの父の存在は、こうした事態にそっと手を差しのべてくださった神さまの粋な計らいと感じる自分がいた。

“余命宣告”後の夫を そばで優しく見守っていた花達や描画

“余命宣告”後の夫を そばで優しく見守っていた花達や描画

「先生、一瞬一秒でも長く生きさせてください。」
術後回復室で夫は医師にそんな言葉を投げかけていた。
「先生、お願い、嘘でもいいから、よっしゃよっしゃ!と言ってやって!」
ふたりのやり取りの中でそう願った。

うつろな状態の中で、夫は私に大切な方々への連絡を懇願した〝余命宣告〟を受けた夫の状況をどんな言葉で伝えられるのか。そんな思いの一方で、自分自身も一番身近な人のダイヤルを押していた。きっと自分達だけでは到底抱きかかえることの出来ない衝撃に耐えかねていたのかもしれない。

人間の支えのありがたさを強く感じた。絡まる心のもつれを、泣いたり、言葉表現することで、自分ではコントロールできない感情を解きほぐしている。そこには必ずそんな自分をあるがまま丸ごと受け止めてくれる人が存在する温かさに包まれた。

〝余命宣告〟。それは私達にとって〝生き方と逝き方〟という大きなテーマが与えられた記念日であり、人生最大の締め切りまでの模索開始日でもあった。その日から、なぜか自分の心を文字に託して綴り始めた。小さなメモ書きノートの表紙に『生』と記した。初日の最終行、こんな文字で締め括られていた。… 試 練。(続く)