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2016年6月21日わが町 人物誌 松下幸之助⑩

松下電器の製品に「ナショナル」の商標を初めてつけたのは、昭和2年(1927)発売の「新考案角型ランプ」からです。
たまたま新聞でインターナショナルとのカタカナ文字を見つけ、ロシア革命用語かなと思いながら字引きをひくと、ナショナルは
「国民の、全国の」という意味だと出ています。幸之助は思わず手を打って、
「そうや、国民のための電気器具、これはええ名前や」
と、 「ナショナル角型ランプ」と銘打って売り出し、大当たりをとります。
「事業は私企業のためにあるのではない。全国民の幸せに奉仕するためのものだ」
のちの幸之助語録のいたるところにみられるこういった考えは、ここに始まります。
ナショナルの名が全国に浸透したのは、 「ナショナルラジオ」です。同4年ごろ、うわさになったラジオとやらを買った幸之助は、
図体ばかりがでかくて、性能の悪いのにびっくりします。それにすぐ故障する。値段も高すぎる。よし、なんとかしたろと
考えた幸之助は、
「安うて性能のいいラジオを作れ」
と、中尾哲二郎(のちの松下電器副社長)に命じます。

天才 哲二郎のラジオ

哲二郎は、幼いころ両親と死別、学校にも行けず、小さい町の金属工場に徒弟奉公した風変わりな青年でした。大正時代の末ごろ、たまたま金型の注文にきた幸之助は、彼の仕事ぶりが気に入り、うちにくれへんかと主人に頼みます。主人はあわてて、
「あらあきまへん。ごたごた文句ばかり言いやがって。親方のわいにまで、じきにさからいまんね」
と手を振ります。幸之助は、いや、そらおもろい子や、な、頼むさかいにとむりやりに譲り受けるが、すぐ先輩が、
「大将、ほんまにあいつは文句が多い。こないせえと教えたのにやらんと、勝手なことばっかりしやがりまっせ」
と顔をしかめます。なるほどそのとおり、松下のやりかたを無視し、自分流の工夫で工程を変え、ひとりでどんどんやっていく。寡黙で絵描きのような長髪の風貌に、幸之助は丁稚小僧だった自分の若いころの面影を、思い浮かべたのでしょうか。とりわけかわいがり、好きなようにさせました。
その幸之助に命じられてもろくすっぽ返事もせず、プイと横をむいた哲二郎は、なんとたった3カ月で実に音質のいい見事なラジオを作り、幸之助の机にホイと置いたのです。                  (続く)