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2016年6月21日わが町 人物誌 松下幸之助⑪

昭和4年(1929)ごろ、幸之助が松下電器の変人技師中尾哲二郎に作らせたラジオは、日本放送協会(NHK)のラジオセット懸賞コンクールで専門メーカーの製品を退け、堂々1等賞を獲得します。その性能のよいこと、音質のきれいなこと、たちまち評判になって、ナショナルラジオは全国を席巻(すごい勢いで広がる)します。
のちに神話化された経営の神様松下幸之助の商法を、「水道哲学」と言いますが、これは昭和7年(1932)5月5日を「第一回創業記念日」と定めたときの、彼のあいさつからでたことばです。

松下 幸之助

「水道水には値がある。値のあるものを盗めば罪になる。ところが水道水はちょっと盗み飲んだぐらいでは罪にならぬ。なぜか。水道水は豊富にあるからだ。生命の維持に必要欠くべからざる水でさえ、こうである。生活物資を水道水のように提供すれば、貧困は無くなり、誰もが幸せに生きられる。真の経営の心はここにある。それが経営者の使命だ」
この考えはプロスベリー(繁栄)、ピース(平和)、ハピネス(幸福)の実現こそ我らの道だとする松下の哲学、「PHP運動」の根幹になります。
幸之助の人生観に大きな影響を与えた加藤大観も、忘れがたい人物です。大観は刺繍職人でしたが30過ぎのころ大病し、数年間足腰が立たず、真言宗に帰依して回復した僧侶です。しかし特定の寺を住持せず各地を放浪し、しばらく幸之助宅に滞在しました。
あるとき不眠と奇妙な妄想に悩む幸之助「先生、昨夜も眠れまへんでした」とこぼすと「そらな、仕事を広げすぎたからや。わしは70で居候の身やが、ころりと横になればグウグウです。どっちが幸せかわかりまへんな」と答えます「どないしたら不眠は治ります?」と尋ねると「治りまへん。あんさん欲が深すぎま。出世もしたい、金も欲しい、社会奉仕もしたい。な、不眠はその勲章です」と、こんな調子で仲良く暮らしています。
第一回創業記念日の2年後、門真に落成したばかりの本社が、あの室戸台風で大被害を受け、役員たちは落胆絶望、もうあかんと泣き声になったとき幸之助「しっかりしなはれ。赤ん坊でもこけたら起きようとしまっせ」と、肩を叩いて励ましました。首吊り心中をもちかけて妻むめのに叱られたあの日が、甦ったのかも知れません。平成元年(1989)95歳の天寿を全うしました。(終わり)