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2014年2月17日田中 絹代 (四)

「宏さん(絹代が初めて主演した映画「村の牧場」の監督清水宏のこと)と結婚したい。松竹はやめます」
と泣き顔で訴える松竹の看板女優田中絹代に手を焼いた会社は、母のヤスに説得してもらいますが、それでもだめでしたのでとうとう宏に圧力をかけました。
どうしても結婚するならキミの仕事はなくなるよ、この世界から追放されてもよいのかねと脅し、
「な、結婚するなというてるんやない。10年でいい。せめてあと10年のばしてくれとたのんでるんや。このとおりや」
と会社の幹部は頭をさげ、
「それともなにか。キミはあれほどの才能のある子をつぼみのままで終わらせる気か。花を咲かせ実りを待つのが監督たるものの務めやないか」
と弱味をついてきます。ついに宏は降参しました。
「キヌちゃん、ごめん。好きな人ができたんや。キミもいい人をみつけて幸せに暮らしてくれ」
と伝言を残して去っていきます。絹代はこんなみえすいた口実を作る宏が気の毒で、一晩中泣いたといわれます。こうして彼女の初恋は終わりました。

田中 絹代

女優としての絹代は順風満帆(まんぱん)です。小津安二郎監督の「大学は出たけれど」「落第はしたけれど」は、昭和初期の経済不況をコメディタッチで吹きとばすほど当たります。
また五所平之助メガホンの「マダムと女房」は、日本では初めてのトーキー映画(音声と画面が同時に出る映画)です。
それまでは画面は動くだけで無声、活動弁士(カツベン)と称する説明者が横に立って画面の内容を説明し、あわせて客席前の楽隊が演奏する仕組みでしたから、
「ひゃあ、画面がモノをいうで」
とみんなびっくりします。このトーキー映画からマスクがいいもののせりふの下手な、あるいは声の悪い女優は消えていきます。
ところが絹代は(一)でのべたように少女琵琶の出身だけに声がいい。まるで鈴をふるような美声で、特色のひたむきでいじらしい演技にぴったりです。
昭和8年(1933)平之助は、この美声をいかそうと初めて文芸映画川端康成作の「伊豆の踊り子」のヒロインに、絹代を起用しました。(続く)