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2014年2月17日田中 絹代 (二)

大正13年(1924)大阪の楽天地(現・中央区千日前にあった遊園地)にある小劇場「月宮殿」に出演していた少女琵琶劇巴屋寅子(ともえやとらこ)一座のスター田中絹代は、お休みの日にたまたま見た映画(当時の名称は活動大写真。もちろん白黒で無声)の主演女優栗島すみ子の演技にうっとりします。
すみ子は詩人与謝野鉄幹の親友で作家の栗島狭衣(さごろも)の娘で、大正10年松竹蒲田(かまた=東京都の南部にあった撮影所)に入り「船頭小唄」のヒロインを演じて大ヒット、美人女優第1号といわれた女性です。中山晋平(しんぺい)が作曲した「俺は河原の枯れすすき…」との主題歌は、今でも中高年の方の愛唱歌の一つですね。

田中 絹代

当時14才だった絹代は、京都の松竹撮影所にすみ子が来るという噂を耳にし、直接お会いして弟子にしてもらおうと出掛けます。ところが警戒が厳重で近寄れません。さすがの少女琵琶スターの絹代も、
「紹介状がないとだめ!」
と、ぴしゃりとはねつけられてしまいます。
うろうろしていると、キミ、なにしてると声をかけてくれたのが、野村芳亭監督です。彼は名前だけは知っており、へえー、寅子とこの絹代がキミか…とジロジロ顔を眺めながら、同情してこういってくれました。
「そんなら俺が使ってやろ。ただし端役(はやく)やぞ。それが勤まらなかったら、活動大写真はあきらめなさい。」
こうして彼女が出演した最初の映画が「元禄女」ですが、端役も端役、お姫様にゾロゾロついて歩く腰元のひとりでした。
もちろん誰の目にもとまらなかったのですが、たまたまニューフェイスを探していた青年監督清水宏があれっと首をかしげ、絹代を呼びだし、
「キミの笑顔がいい。ちょっと笑ってごらん。あかんあかん、口に手をあてたらあかん。大きな目をしてニコッと笑うんや。恥ずかしそうに笑うんや」
と注文をつけ、あごがだるくなるほど笑わせ、じゃあサヨナラ…と去っていきました。
変な人…と思っていた絹代は、半年後、ふたたび宏に呼びだされます。いきなり「村の牧場」という映画の主役に頼まれたのです。さわやかな青春映画ですが、宏の思い入れは格別でした。映画の世界など右も左もわからぬ絹代に文句ばかりつけ、いやになるほど笑わせ、すぐNG(とり直し)をだしました。(続く)