わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月18日春団治〔初代〕 (二)

チヤホヤされるとのぼせあがる若き日の春団治は、ある日取り巻き連中をひきつれて、無一文のくせにとびきり上等のお茶屋にくりこみました。
たらふく飲んで食べたあと、春団治は隣座敷との間のふすまを開けます。裕福そうな商家のだんなが、芸者衆にかこまれています。

若い頃の桂春団治

「だんなはん、お初で失礼ですが、ちと景気つけたいんで、いっしょにやりまへんか。わい、桂春団治でおます」
「ほう、あんさんが春団治はんか。さ、遠慮はいりまへん。こっちきなはれ」
となってみんな合流し、飲めや歌えの大騒ぎ、
「ほんまにええ気分や。だんなはんのおかげだす。お礼にステテコおどりやりまひょ」
と高座で演じるとっておきの芸を披露します。なにしろ手踊り名人の師匠桂文我譲りの秘芸です。だんなも芸者も笑いころげているうちにお開きになる。
春団治はおおげさに首をかしげ、
「さあてだんなはん。わりかんにしたいんやが、どない計算したらええかわからん。どないしまひょ」
と尋ねます。腹の皮がよじれるほど笑いころげた商人は、
「あほいわんとき。天下の春団治に勘定なんかさせまへん」
と会計を持ってくれたばかりか、祝儀袋まで渡します。ふすまの横で春団治はペロリと舌を出しました。
こんな無軌道な春団治の生活態度を心配した文我の師匠桂文団治は、
「アホなやつやが芸は天才や。まあ嫁はんでも持たせたら、ちっとはましになるやろ」
とあちこち探したあげく、明治40年(1907)京都の旅館の娘でしっかり者との評判の高い東松トミと結婚させます。ときに春団治29才、トミは18才でした。
「芸のためなら女房も泣かす」
とのちに歌われた女房とは、このトミのことです。彼女はけんめいに夫を支えました。
2階借りから長屋を転々とする暮らしですが、春団治の出演料は全部夫に使わせ、自分は寄席「紅梅亭」のお茶子(客の世話をやく案内係)になって生活費を稼ぎ、あんたは日本一の芸人になりなはれ…と励まします。
ところが極楽トンボの春団治は、トミに甘えていい気になって遊び回ったのです。(続く)