わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

みなトコ×みなとQ みなとQ編集室 06-6576-0505

2014年2月5日織田 作之助 (三)

学業を放棄してカフェで働く宮田一枝と同居した第三高等学校学生織田作之助は、昭和10年、11年と進級試験に落第し、規則によって退学処分を受けます。 生活は一枝が支えましたが学費は長姉の竹中タツにおんぶしたきり、そのタツが学費のことで夫の国治郎に激しく殴られ、便所に隠れてシクシク泣いていたと次姉から聞かされたのも、ショックでした。
「作ぼんはわてらとちがう。きっと偉くなるで」
と、ひたすら卒業を待ちわびたタツに、とうてい退学になったとはいえず、あきれた一枝にも逃げられ、作之助は住吉の小さなアパートにひとりで入り、おまけに血痰まで出て心身ともどん底の生活となります。
このままでいけば昭和の西鶴とまでいわれた作家オダサクは、誕生しなかったでしょう。ところが同13年、彼は1冊の本にめぐ あいます。スタンダールの名作『赤と黒』です。

法善寺横丁にある水かけ不動

これが運命を変えることになります。主人公の貧しい青年ジュリアン・ソレルの境遇や生き方に感動した作之助は、自分も今までの生活を率直に書いてみようとの気になったのです。
同13年11月、まとめた自伝小説『雨』を、文芸雑誌『海風』に発表します。幼年期、父鶴吉と暮らした生活困窮者の集まる『がたろ横丁』から始まるこの作品を、作家武田麟太郎(本紙1997年6月号参照)が激賞、一部から注目されます。
「真面目に生きよう。ぜったい作家になる」
こう誓った作之助は、別れた一枝を訪れ、正式に結婚して所帯をもとうと懇願します。
「ほんまにきちんと暮らすんやね」
一枝に念を押された作之助は、翌14年結婚すると生活の糧を得るため『日本工業新聞社』に入社、新聞記者として給料をもらいながら小説に本格的にとりくみ、『海風』に掲載した『俗臭』が芥川賞候補になります。これがきっかけであこがれていた文芸春秋社の雑誌『文学界』に『放浪』を発表、いずれも退廃的な生活を清算しようとする若者らしい気力にあふれ、好評でした。
こうして同15年、あの名作『夫婦善哉』を世に送るのです。梅新の化粧問屋の若旦那柳吉は、妻子がありながら店も家族も捨て、一回りも年下の芸者と駆落ちするこの作品は、作之助の名前を天下に広めます。(続く)