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2014年2月7日ミス・ワカナ (五)

昭和16年(1941)太平洋戦争が始まると、英語は敵性語だと使用を禁じられ、ワカナも警察からミスは敵性語や、使うたらあかんと叱られます。腹が立ったワカナは
「そんならウチ、改名する。メス・ワカナや、文句あるか!」
と啖呵(たんか)を切っています。
寄席に上がれなくなった芸能人たちは、当時の空軍「荒鷲部隊」をもじって「笑わし部隊」を結成、戦場に出て軍隊の慰問活動を始めます。ワカナと夫の一郎も青春の思い出がいっぱいつまっている中国大陸に渡り、野戦病院に収容された戦傷兵士たちを訪れ、せいいっぱい笑わせて慰めました。

ミス・ワカナと玉松一郎

しかし彼女の人生はあっけなく幕を閉めます。戦争が終わりミス・ワカナにもどれると喜んだのもつかの間、翌21年(1946)心臓発作のため西宮で倒れ死亡しました。享年36才です。得意のネタは「ワカナ放浪記」「愛国婦人会」「金色夜叉(やしゃ)」など。映画にも「水戸黄門漫遊記」「黄金道中」「陽気な幽霊」等に出演しています。
昭和54年(1979)彼女の一生を描いた森光子主演、小野田勇作「おもろい女」が大当たり、この年の芸術祭演劇部門大賞が贈られました。
また弟子のミス・ワカサは、師匠没後、宝塚新芸座に入り、朝日放送のラジオ「漫才学校」で活躍、早口の大阪弁でまくしたて、いわゆる女上位漫才を確立しています。彼女も昭和49年(1974)53才没。
ワカナの死後、吉本興業のもとに姿、形から喋りかたまでそっくりな芸人がいるとの知らせが届きます。日向鈴子という名の女性です。彼女は大正9年(1920)東京生まれですが、幼いころから父と一座を組んで大阪から九州まで巡業し、三遊亭柳枝と結婚してからは夫婦で「柳枝劇団」を結成します。
お喋りは天才的でしたが、ほとんど学校には行けなかったため、渡された台本の漢字が読めません。そこで劇団の照明係りとして入ってきた戸田朝治という青年が、工業学校を出ており多少物知りでしたので、
「あんた、これなんという字や」
と教えてもらいます。何度も聞きますから周りが面白がって、朝治に「なんという字」とのニックネームをつけました。
もういうまでもありませんが、鈴子がミヤコ蝶々、朝治が南都雄二です。蝶々は柳枝の浮気に怒り離婚、嫌がる雄二を無理に舞台にあげ、上方トンボと名づけ漫才を始めます。(終わり)