わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月20日奥田弁次郎・フミ(三)

明治7年(1874)4月、お化けがでると恐れられた千日墓地跡(中央区千日前1~2丁目)の灰山(火葬した遺灰を積み上げた所)が、「1坪に50銭つけてタダでもらえる」と、たった一軒だけ残った茶店のばあさんから聞いた弁次郎は、とんで帰り妻のフミに、
「灰山はこわいけど50銭はほしいなあ。10坪もろたら5円もくれるで」

と報告します。フミは返事もせず家中をガサガサ探していましたが、いきなり2百円もの大金を投げだし、こう言いました。
「灰山はあかん。どけるのになんぼお金かかると思うてるのや。それよかこれでばあさんごと茶店を買いなはれ」

千日寺絵図(難波鑑)

2百円は夫に内緒で、爪に火をとも ようにしみったれして、こっそりためていたヘソクリの全額でした。
「ヒ、ヒヤー。お前、山内一豊の妻や」

弁次郎は叫びます。貧しかった下級武士の山内一豊は、主君織田信長が家来に馬くらべをさせると言いだしたとき、まっ青になります。馬など持てる身分ではない。ところがわけを知った妻は、かくしていた持参金黄金10枚をとりだし、とびきり上等の名馬を買わせ、一豊は大いに面目をほどこし、これがきっかけになって立身出世、やがて土佐20万石の大名になる。この話は戦前の教科書で内助の功、貞女のかがみとして絶賛されたものです。大河ドラマにもなりましたね。

目をまん丸くして喜ぶ夫にフミは、涙をいっぱいためて、
「あんた、今度こそ本気で働いてな」

と頼みました。なにしろ18歳のとき、親の反対を押しきって駆け落ちし、一緒になったフミの頼みです。初めて目のさめた怠け者弁次郎は、生まれ変わったような気分になり、まじめに働くと誓います。

動物好きのフミは、以前から弁次郎が香具師(やし)仲間からもらった猿をかわいがっており、赤い甚平(じんぺい)を着せて、ひまなとき芸を仕込んでいました。その猿もつれて改装した茶店にひっこしますが、
「千日前にけったいな猿がおる。甚平着たり脱いだりしよる。茶かてはこんでくるで」
と評判になり、客が増えてきます。

こらいける…ポンとひざをたたいた弁次郎は、茶店の横にむしろがけの小屋を建て、見世物興行を始めます。これが旧墓地千日前が大阪を代表する繁華街になる第一歩ですが、夫婦は夢にも思いませんでした。(続く)