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2014年2月21日吉本 せい(七)

大正13年(1924)2月、せいの夫吉本泰三は39歳で急死します。働きもんせいも落ちこんで気力を失うが、これを助けたのがせいの実弟林正之助です。

すでに吉本興業は大阪に18、京都5、名古屋・横浜に各1の合計25ものコヤを経営しており、大阪どころか上方芸能を代表する会社になっていましたが、さらに発展させるため正之助は漫才に目をつけます。

林正之助と吉本せい

コンビの千歳家(ちとせや)今男を失って困っていた花菱アチャコと、インテリを鼻にかけプライド高く仲間から嫌われていた横山エンタツを再会させ、エンタツ・アチャコを舞台にあげて爆発的な人気を集めます。詳しくは本連載132~38回をご覧ください。漫才が落語と並んで上方を代表する芸能になったのは、正之助の手腕です。

昭和に入ってせいは立ち直り、会社の経営にも才能を発揮しますが、それ以上に力を入れたのは慈善事業です。また報恩の気持ちも強く、数々の逸話を残しています。全部は無理なので、有名な話を二つだけ紹介しておきます。

昭和7年(1932)東宮学問所総裁東郷平八郎が療養生活に入ったのを知ったせいは、5万円のお見舞いをさしあげ、返礼として東郷家から平八郎愛用の椅子を贈られています。平八郎は日露戦争の天王山となった日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破し、日本が勝利する原動力となった連合艦隊司令長官です。彼は同9年87歳で病没しますが、椅子は今でも吉本家の家宝になっています。
もうひとつは同13年(1938)に、25万円もの大金を投げだして、経営不振だった通天閣を買収したことです。通天閣は明治36年(1903)に開かれた明治万博と俗称される第5回内国勧業博覧会の跡地に、設けられた娯楽施設「ルナパーク」のシンボルとして、同45年(1912)に竣工した高さ75m、当時日本一高い巨大なタワーで、パリのエッフェル塔をモデルにした高層建造物です。

「ダイヤモンドは高い 高いは通天閣 通天閣はこわい こわいはゆうれん(幽霊)…」
と大阪の子どもたちまで歌ったなにわの超名物でした。
ライオン歯みがきの電飾広告が夜空に輝き、展望台まで、エレベーター(貨物用はあったが、人間の乗るものはここが日本最初)で行けるとあって繁盛しますが、昭和に入って戦争が泥沼化すると無用の長物、経営が苦しく身売り話がでても買い手がありませんでした。 (続く)