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2014年2月21日造幣局の人たち(五)

日本初の近代貨幣第1号超豪華20円金貨を制作した造幣局技師加納夏雄の日常は、無口で外出や遊興を好まず、妻や子たちを花見や芝居見物にだしたあと、帰ってくるころに風呂をわかし、やあお帰りと迎えてやり、笑顔を見てひそかに楽しんだと言われます。川口陟(のぼる)『加納夏雄伝』に、
「起居すこぶる謹厳。身を持することすこぶる倹素で、往々にして誤解を受ける。毎日弁当さげてくるので嘲笑されたが、その弁当のおかずはきまって目刺だ。しかも食後かならず目刺の頭の骨を机のひきだしに納めるから、嘲笑は悪罵に変わった。実はこの骨は彫金室で錆付け薬の中に、投じられていたのである」
と記されています。造幣局構内の「造幣博物館」に、今も夏雄「新貨幣図」「試作手彫貨幣」が飾られているので、ぜひご覧ください。試作貨幣は一円金貨の試作品ですが、夏雄の天才的技量と職人気質がひしひしと伝わってきます。

なお彼は明治8年(1875)帝室技芸員になり上京。同26年明治天皇の佩刀(はいとう)製作を命じられ、3年がかりで作りあげ、見事なできばえは誰からも絶賛されています。東京美術学校(東京芸術大学)教授も兼務。内外展覧会に出品して受賞すること数えきれず、鑑定・審査の重鎮でもありました。弟子に香川勝広・増田友雄・池田隆雄・中川義実ら、斯界(しかい)の大家も多い。明治31年(1898)1月70歳没、東京芸大に米原雲海作の加納夏雄銅像が建てられており、眺めるだけで頭が下がります。

しかし貨幣製造は、スムーズには進行しません。まず、造幣局権頭(局長代理)久世治作と鋳造技師長キンドルとの衝突です。キンドルは造幣局頭(局長)井上勝が、三顧の礼でイギリスから招いた優秀な技師だが、横柄・尊大な男でした。着任早々日本人の異相に眉をひそめ、

①丁髷まかりならぬ。すぐ断髪すべし。
②腰の大小不要。
③長袖(着物のこと)は危険につき着用禁止。洋服にせよ。
と厳命し、違反者は即刻解雇といいわたします。傲慢な奴や、キンドルこそ追いだせと騒ぐ職員たちをなんとか押さえた治作は、範を示そうとまっさきに髷を落とします。夫の頭を見て妻は夜通し泣いたそうです。
だがそれぐらいでは収まりません。キンドルはわがまま勝手、無類のお天気屋でした。(続く)