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2014年2月21日造幣局の人たち(四)

明治4年(1871)2月、日本初の西洋式建築造幣局が竣工すると、主任技師久世治作は、記念硬貨第1号超豪華20円金貨のデザインを「竜」に定め、天才彫金師加納夏雄に制作を依頼します。
夏雄は文政11年(1828)京都生まれ。絵画に才能があり円山派の画家中島来章に学びますが、来章からお前は指先が器用だ、絵より彫金にむいておると大月派の池田孝寿に紹介され、25歳で早くも京では指折りの名手になりました。頼まれたときは41歳、強情で超偏屈な性格もあってそっぽを向くが、
「造幣局ではすべて西洋人が牛耳っている。科学ではかなわぬが、自分は優秀な日本の伝統芸術を貨幣製造に生かしたい。そのためにはキミの力が必要だ。な、外国人に負けてたまるか」
とくどかれ、ついに承知します。

少年のころ夏雄は勤皇派の学者森田節斎に漢学を習ったことがあり、人一倍負けてたまるかの気概の持主でした。さっそく水垢離をとって心身を浄め、数十枚のデッサンを描きます。治作がみんなと相談するから候補の数枚を見せてほしいと頼むと、ピシャリと断られました。
「気の散ることは嫌だ。人の意見などぜったいに聞かない。1枚だけ作ります」
それからの夏雄は寝食も忘れて作業場に籠り、やっと20円金貨の原型を指先1本で彫りあげます。直径3・52㎝、重さ33・3g、表は竜、裏は旭日を中央に菊花と菊紋・桐紋を配し、錦の御旗まで加わったデザインに、誰もが目をむきます。貨幣というより超一流の芸術彫金でした。

それでも西洋かぶれの政府高官は、これを見本にイギリスに送り、金属の原板を作らせよと命じます。話を聞いた造幣局建設主任ウォートルスは怒りだし、
「バカなことをするな。日本人の指先は世界一だ。誰がナツオに及ぼうぞ」
とどなりつけます。ウォートルスはあの銀座赤レンガ街を建築した有名な技師で、驚くほどの高給をとり、プライドが高くすぐに日本人を小馬鹿にしていた男です。その男がこれほども夏雄をほめたたえたのです。
結局夏雄は金属原板などもひとりでやりとげるが、この金貨は明治10年に改鋳発行されたものも含め、たったの29枚しか現存せず、今なら一枚何百万円するか見当もつかない超貴重品だそうです。テレビのなんとか鑑定団なら、いくらに評価するでしょうか。(続く)