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2014年2月21日造幣局の人たち(三)

明治2年(1869)11月、建設中の造幣局建物の司令塔土木司・鉄山司が失火で炎上したとき、白髪をふり乱した老人が猛火の渦にとびこみ、設計図はじめ重要書類を山のようにかかえ「ぼやぼやするな。運べ!」と火だるまになりながら戻ってきました。江戸三剣豪のひとり71歳の斎藤弥九郎です。

役人から作業員までその鬼の形相にふるいたち、必死になって搬出にあたり、建設現場は全焼したものの辛うじて図面等は無事でした。もし弥九郎がいなかったら、造幣局は画餅に帰していたかも知れません。

しかし弥九郎は全身に大やけどを負い、同4年73歳で死亡しました。臨終にかけつけた造幣頭(局長)井上馨は、抱きついてオイオイ泣いたと伝えます。高杉晋作・品川弥二郎・桂小五郎ら、明治維新を背負った人傑は、すべて弥九郎の門下です。
不運はまだまだ重なる。建築資材を失った馨は、イギリスに援助を求め、なんとか買い付けたがこれを積んだ汽船がホンコン沖で沈没。さすがのも火事と合わせて責任をとらされ辞職、後任に井上勝(野村弥吉)が就任します。

伊藤博文らとロンドンに渡った元長州脱藩藩士で、鉱山開発や鉄道敷設工事を学んだ優秀な技師です(のちに大阪に汽車製造会社を設立。交通・運輸面の恩人)。さっそく技師長に英国人キンドルを招き、大阪中の石工を集めて再開。昼夜兼行の突貫工事で明治4年2月、日本初の西洋式建築造幣局が竣工します。総工費55万両。同月15日の祝賀式には右大臣三条実美大隈重信、イギリス、フランスの公使をはじめ、内外の高官3百数十人が並び、神戸や横浜から集めた外国人コックが腕を競い、一人前15円もの超豪華料理が卓にあふれ、造幣局権頭(局長代理)久世治作お手製の花火がポンポン上がり、側を流れる大川を彩って誰もが夢心持になりました。
治作は前に申したように、新貨幣の形を矩形、正方形など角型案が多いなかで「西洋では元首や偉人の肖像が多い。人物の顔は円のほうがいい」と主張し、円形に定めた男です。元首なら天皇だ、明治天皇様がいいと誰かが言うと、このバカ、そんな恐れ多いことができるかとふたたびもめだしたとき、彼は、
「陛下のお顔を竜顔と申します。竜の図柄ならいかがでしょう」
と知恵をだし、誰もが納得、新貨幣第1号20円金貨の図案は「竜」にきまりました。(続く)