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2014年2月6日林 歌子 (六)

明治42年(1909)、のちに「キタの大火」と呼ばれる大火事で、曽根崎新地遊郭が類焼します。売買春禁止運動の先頭に立っていた歌子は、社会運動家山室軍平・島田三郎らと遊郭再建反対運動を起こし、2万人に近い署名も集め、ついに大阪府は「曽根崎新地貸座敷免許廃止」通達を出します。
続いて同45年、今度は「ミナミの大火」で難波新地遊郭が焼失、歌子たちはただちに廃止運動を強力に進め、これまた成功します。いずれも偶然火災が生じたせいですが、歌子たちがもりあげた世論の高まりがあっての成果です。
いっぽう業者や事業主、それに一部の政治家やマスコミは危機感をつのらせ、遊郭必要のキャンペーンを展開します。彼らの主張を要約すると、①遊郭がないと若い娘さんが男達に襲われる。遊郭は女性の純潔の防波堤だ。②女性が手になんの職がなくても、親・兄弟を助けられるのは、遊郭があるからだ。遊郭は親孝行の源だ。③遊郭は江戸時代からの社交場だ。あればこそ商いが円滑にはこぶ。廃止すると大阪の経済地盤が沈下して、大不況になる。といったまことに腹立たしい屁理屈でした。

署名活動中の歌子

結局、遊郭賛成論者に押しきられた大阪府は、大正5年(1916)告示107号で、「天王寺村の飛田(とびた)に、市内のすべての遊郭を集める」と発表。2万坪の広大な敷地に、日本一の大規模な歓楽地「飛田遊郭」の建設にふみきったのです。
歌子はキリスト教徒で社会運動家・宮川経輝(大阪YMCAの功労者)を委員長に頼み、有志とともに「飛田遊郭設置反対同盟」を結成、建設阻止(そし)に死力を尽くします。小・中学校保護者会(現PTA)に教育上重大な支障ありと働きかけ、署名・講演活動を起こし、母親たちと大阪府庁に陳情のためのデモ行進を実行します。おそらく大阪では初めての「女だけのデモ」だったと思います。
また宙返り飛行で世界各地を巡業していたアメリカの飛行家A・スミスが、おりよく大阪に来ていたので頼みますと、気難し屋のくせに大賛成、
「わがはいに任せなさい」
と無料で大量の建設反対ビラを空中からまいてくれ、これも話題になりました。さらに歌子は女子師範在学中にほめられた大隈重信(当時首相)を訪ね、彼も協力を約束してくれます。(続く)