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2014年2月6日林 歌子 (二)

明治13年(1880)、福井女子師範学校を卒業した16歳の林歌子は、大野小学校の教員になりますが、4年後、一生に一度の、やはり小学校教員の阪本大円と恋愛関係になります。父の長蔵は大円が林家に養子に来る条件をつけて結婚を許しますが、初めは承知した阪本家も、大円は阪本家の相続人だ、嫁に来なければ認められないともめだします。
そのうちに、古い因習(いんしゅう)に縛られるのは嫌だ、駆落ちしても一緒になろうといってくれた大円が、いつのまにか親のいいなりになって、嫁に来ないのなら別れても仕方ないと背を向けます。当時は家父長権が絶対でした。憲法24条にわざわざ「婚姻は両性の合意にのみ基いて成立」と記されているのは、このような過去があってのことです。このときの痛手が、男性を中心とした古いモラル「家」の制度に対する反発となり、女性の権利を守りたいとの歌子の生きかたの、原動力になっています。

矢島 楫子(左)と歌子氏

同18年傷心の歌子は故郷を捨て、東京へ出てキリスト教に救いを求め「神田教会」に通い、牧師ウィリアムズと出会います。彼の語る西洋の文化と人権尊重の思想に、目のうろこのはがれる思いがした歌子は入信し、立ち直る一歩をふみだします。またウィリアムズの世話で立教女学校教員になりますが、ここで矢島楫子(かじこ)を知り、大きな影響を受けました。
楫子は21歳も年上で、肥後(熊本)の大庄屋家に生まれます。姉久子は徳富蘇峰(思想家)・盧花(小説家)の母親、次姉せつは横井小楠(思想家、明治維新後暗殺される)の妻という賢女3姉妹の妹です。富豪林七郎と結婚しますが夫は酒好きの道楽者、とりわけ女性関係がだらしなく、何度もけんかしたのち3児を置いて離婚。東京へ出て牧師タムリンの洗礼を受けキリスト教徒になり「東京婦人矯風(きょうふう)会」を起こし、一夫一婦制を主張、女性の地位向上に尽力しました。夫婦が一夫一婦であるのはあたり前ですが、
「お妾(めかけ)さんを持つのは男の甲斐性や」
とほめられるほどの、男勝手な時代だったのです。
また歌子は神田教会で、小橋勝之助・実之助兄弟とも親しくなります。兄弟は教会男子部のリーダーで、
「恵まれない子どもたちの福祉に役立つ施設を作りたい」
といつも熱っぽく語っており、歌子はその夢の実現のために協力したいとの思いがつります。  (続く)