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2014年2月7日エルメレンス (二)

大阪府立医学校(のちの大阪大学医学部)教授C・J・エルメレンスは、気さくで明朗な人がらと大の日本びいき、しかも診療は親切で腕は抜群ときますから、巷(ちまた)にはエルメレンスファンがあふれていました。
鴻池善右衛門や住友吉左衛門らの富豪から、実川延若、中村宗十郎ら有名な歌舞伎俳優まで熱烈な心酔者で、健康でどこも悪いところもないのに彼の診察を受け、歓談して楽しんだといわれます。またエルメレンスは清潔な人格者でした。シーボルトやピンカートンはじめ、来日した西洋人たちはほとんど日本の女性をいっとき妻にして、帰国するときにたくさんの艶聞を残しています。ところが彼には全くそんな浮いた話はありません。

エルメレンス

「なにかとご不便でしょう。妻帯したらいかがですか」
と周りが勧めますと、
「トンデモナイ、オンナノヒトヲナカセルノハ イチバンイケナイコトデス」
と、あわてて手を振りました。
明治11年(1878)任期の切れたエルメレンスは母国に帰り、オランダのハーグ市民病院の院長に就任します。ところが翌年の同12年フランスを旅行中、急病のためあっという間に亡くなります。時にまだ37才の早世でした。不幸な知らせを受けた大阪の人たちは心から悲しみ、遺徳をしのんで顕彰碑を建てることになり、募金活動をはじめます。知人や弟子たち、あるいは治療を受けた元患者たちが喜んで協力し、たった3ヶ月で軽く目標を突破、千円以上が集まりました。明治14年(1881)中之島(現・北区中之島1丁目)に大きな碑が建ちます。
(正面)FOR THE MEMORY OF DR,C・J・ERMERINS
(側面)阪谷朗盧撰の頌徳文
(銘)歐海万里 魂魄茫々 徳則靡渇 澱水与長
オランダ領事や川口居留地のバイヤーまで除幕式に参加、花火数百発が打ち上げられ、十数名の楽人が演奏する盛大なものでした。なおこのとき祭壇に掲げられた彼の肖像画は、複製されて1枚35銭でとぶように売れたそうです。また江戸堀(西区)の猪飼薬店からエルメレンス先生処方『ビットル散(健胃剤)』が売りだされ、これも好評でした。碑は昭和11年(1936)阪大医学部に移っています。(終わり)