わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月10日命の伴走者 (その4)  専属トレーナー

芸能人のマラソンランナーには、最初から最後までランナーの斜め後ろにピタリとついて一緒に走る存在があることを、テレビでよく目にする。走りのプロとして、ランナーへの時間配分やペースについての助言、あるいはモチベーション維持への吟味された言葉を届けているのだろう。ランナーにとっても、何かあった時には直ぐに応答してもらえる貴重な存在である。  夫にも命の期限宣告を受けたその日から、最期の息を引き取るまで寄り添ってくださった存在があった。夫のマラソンのかけがえのない専属トレーナーのような彼女の姿が蘇ってくる。

「海野さん、やめんでええよ…。」
私の友人であり、看護師でもあるNさんの言葉に耳を疑う夫がいた。矢継ぎ早に
「私はねっ、患者さんの状況によっては、一服の煙草で随分と気持ちが救われるのであれば、やめなくてもいいと思うの。」
「手術の1週間前からは控えてみて。麻酔から覚醒後の痰に影響してくるから。」
初めて会った彼女自身の看護哲学?!にすっかりほだされた夫。なんと手術1週間前、長年愛してきた煙草ときっぱりと決別してしまった。
こんな出会いをきっかけに、手術や入院といった大きなイベントの度に駆けつけてくださった。夫は、家族、友人、担当医とは違う彼女との人間関係を紡ぎ始めた。
彼女の存在は、私自身のもがきを優しく撫でてくれる風でもあった。厳しい状況に突入した時期であった。自宅での高熱や痛みの苦しみで、救急外来へと駆け込んだ。応急処置を受けたものの、この状態の夫を家に連れて帰ることに大きな不安や恐怖を抱く自分がいた。そんな心は処置室で人目をはばかることなく涙となって溢れた。自宅に戻るという夫。連れて帰れないと泣ける私。看護師達の前で、夫婦の静かなる対立を露呈していた。
気がつけば彼女に電話をかけていた。携帯の向こうからはひと言、
「家に連れて帰るんやで…。」の応答であった。
帰宅するやいなや、夜勤明けの身体で駆けつけてきた彼女。私には何も言わずに、数少ない夫の言葉を傾聴している。帰り際、私とのふたりだけの場面でようやく口火を切った。
「あなたが弱気でどうするの。」
「これからもっと大きな山を越えようとしている海野さんがいるのよ…。」
彼女からの、竹を割ったような端的な言葉を真摯に受け入れるのに、さほど時間はかからなかった。むしろ、大きな懐に抱かれている…。そんな自分を再確認した瞬間であった。

逝く日の3日前であった。自宅のベッドに寝たままの状態で、彼女から洗髪を受ける夫がいた。新聞とビニールで作った手作り洗髪台。洗い終わった後の夫の顔を覗き込んだ。身体は動けなくても、生きている五感と心で爽快さや充実感を抱いている…。満面の笑みがほころんでいた。

多くの伴走者の方々と同様に、豊かな生き方と逝き方の日々を彩るエッセンスと、温かい見守りの眼差しをふり注いでくださったNさん。遠からず近からずでありながらも、振り向けばいつもそこにいた彼女の存在。
〝今、ここで〟 という絶妙なタイミングが持つ力を享受していたのかもしれない。(続く)