わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月10日命の伴走者 (その3)  応援者

昨年の十一月に開催された大阪マラソン。知人と弟の駆ける姿をぜひ見たくて、マラソンコースの沿道に出掛けた。そこには、ランナーは勿論の事、大勢の応援者で埋め尽くされていた。そんな華やかな表舞台とは裏腹に、陰では、沿道とコースの安全や警備を担当する警察官やボランティアが、理路整然と環境整備の維持に力をつくしていた。
この光景に、夫の余命生活に温かいエールを送ってくださった、たくさんの応援者や、陰ながら支えてくださった方々の存在とだぶらせる自分がいた。
…夫が豊かに駆け抜けることができたのは、たくさんの人々のマンパワー以外の何物でもない。

輝く空の青さ、お天道さま、たなびく雲…。
すべてが応援者。

「大丈夫や!」
病院の小さなベッドに横たわり、点滴を受ける夫の姿と対面するなり、届けてくださったKさんの旦那さんからのひと言である。在宅療養中にも、高熱に見舞われて、こうして病院に運び込まれるのが、度重なってきた矢先の事であった。
どこで聞きつけたのやら、知り合いのK夫婦が駆けつけてくださった。どう見ても、苦痛の色で身体も心を覆われてしまっている状態の夫へ、不意をつくかのような意外なひと言に驚いた。ところが次の瞬間、夫の表情が緩み、口元から微笑みがこぼれた。…言霊を感じた。

「神さまはどうして、こんなふうに手を差し伸べてくれるのだろう!」
K夫婦の突然の来訪や、投げかけてくださった言葉への感謝を、こんな表現で、その日のメモに綴っていた。
夫が逝ってから後に、そっとあの日の「大丈夫や!」の真意を、Kさんの奥さんに伺う機会があった。奥さんも同様にこの表現に立ち止り、病院を後にしてから旦那さんに尋ねていたと言う。
「いやいや、あの日の状況では、到底かける言葉が見当たらず、自分に言い聞かせるが如く、こうした表現が自然に口からこぼれた…。」こんなふうに述懐していたそうだ。何ら食物を口から食べられなくなった現実の中で、もがき葛藤する夫の枕元に、唯一なめて溶ける 〝たこ焼き味のあめ玉〟 をしのばせてくださった人。

たこ焼き味のあめ玉

「これなら食べられる。」そんな喜びではなかった。こんな粋な計らいを届けてくださった温かな気持ちで、とんがる気持ちさえも溶かされた事が嬉しかった。
あるいは回診中に、こんな味のあめ玉があるのを知って、えらく感激していた医師の存在を楽しそうに語る夫がいた。

ドラゴンボールのイラストが描かれたうちわ。

病室に駆けつけると、窓際にドラゴンボールのイラストが描かれたうちわがひとつ、こちらを向いている。何と、夫にとっては初対面である私の友人が、見舞いに来て置いていったと言う「カメハメハー!」このパワーを浴びてくださいとのメッセージを残して…。

ランナーとして、命を全うするまで走り続ける夫に、医療のプロ達や家族が伴走者として共に駆けていた。それだけではなかった。熱い眼差しや声援で見守るたくさんの応援者や裏方が存在していた。

「たくさんの方々と関わり合えたらいいな…。夫の人生最終ラン、人間同志の中で紡ぐ、豊かなひと時を味あわせたい。」
この時期の気持ちを、こうした文章で書き留める自分がいた。(続く)