わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月10日海ぼうず?! (その2) 世界でたったひとつのウェットスーツ

① 地上に永遠なるものはひとつもない。
② 形あるものは必ず壊れる。
③ 人は生きて、やがて死ぬ。
(『わたしが死について語るなら』山折哲雄著 ポプラ社より)
宗教学者である山折哲雄さんが記していた、仏教の 〝無常〟の三原則がふと蘇ってきた。夫と海との別れの日であった。
言葉では表現できない感情に心を絡められながらも〝無常〟を意識することなく生きている自分にも気付かされた。

「なあ、なあ、ちょっと見て!」
「世界でたったひとつやで!」
帰宅したとたんに夫の矢継ぎ早な言葉が、私を出迎えた。
目の前にぶら下がるウェットスーツ。よく見ると、なんとなんと腹部に15㎝程のファスナーが施されてある。すぐ様に意図がつかめない私を横目に、嬉しそうにたたずむ夫がいた。衣料品売り場の店員さんの如く、長い説明が始まった。

永遠であることを願った
“海ぼうず”のひと時

食べることができなくなった夫の身体は、2本のチューブが 〝生〟 をコントロールしている。1本は点滴による栄養や水分調整。2本目は胃ろうチューブから老廃物や体液の排出である。
波乗りをする時はこの2本を外すが、長時間抜いたままであると、胃の中に溜まった廃液が、行き場をなくし嘔吐を引き起こしてしまう。そのリスクをこのチャックが解決を図る。気分が悪くなればチャックを開けてチューブをつなぎ、廃液を身体の外へ出す仕組みだと言う。
しばらく口をポカーンと開けて、夫の話に聞き入ってしまう自分がいた。やっと我に返ると、ここまでしてでも波乗りをするという熱意に胸が熱くなってきた。

世界でたったひとつのウェットスーツ。
至福の着心地だったにちがいない。

2010年7月、海の日。このウェットスーツに身を包み、ボードを抱える夫がいた。数日前からの発熱。兄が運転する車の後ろで点滴をしながら横たわり、大好きな四国の海へとたどり着いた。
潮風を浴びながら波を見つめる夫。かなりの時間が経過して、おもむろにウェットスーツに着替え始めた。いつもにない真顔の夫の一挙一動を、固唾を呑んで見守る仲間たちの視線があった。
身体を支配するチューブから解き放たれて、世界でたったひとつのウェットスーツを身にまとい波をとらえた。次の瞬間、身体のバランスを大きく崩したかと思うと、前にいた人とぶつかって転倒。波の中で暫くもがいていた。
…後にも先にもないこれが夫と海との惜別の瞬間となった。ダイナミックで荒々しい男性的な四国の波。そんな波からのメッセージの如く言い渡された、厳しい 〝海ぼうず〟 との幕切れであった。
いやいやこの時点では、夫はまだ最後の波乗りであるとは考えもせずに、再びチャック付きのウェットスーツで波と戯れることを考えていたかもしれない…。
海という自然の懐で教えられた 〝無常〟すべてのことはずっと続かぬこと。こんなにも難しい、当たり前の言葉ってあるのだろうか…。
これぞ 〝逝き方〟 の中に我が身を置いて初めて分かる 〝無常〟 の持つ重さなのかもしれない。(続く)