わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月10日〝食べる〟ということ 「食べることを乗り越えてしまった期」より

「点滴より綺麗な花が飾られた食堂で美味しいスープをひと口いただく。その喜びのほうが今の私達には大事なの。」内藤いづみ著『あなたが、いてくれる。』より)
在宅ホスピス医であり著者でもある内藤さんが、イギリスのホスピスを訪問した際にハタと立ち止まらされた、終末期患者さんからの言葉である。この患者さんの思いが食べられなくなった夫の姿とだぶる。〝食べる〟 ということは生きること…。食べたい意欲が生きたいという意志でもあることを知らされる。
…最期の最後まで、口にさせたい。

鮮やかな“色”を愛でた友人宅の庭からやって来た“グミ”の実

「スペアリブのマーマレード煮。」「お好み焼きのソースだけでいい…。」
こんなメニュー並べから、
「あのな、あのな、あの店のホルモン焼き、口でほお張るだけでいい…。」
「ほら、山下清(画伯)が食べていた、あのどでかいおにぎりをかぶりついてみたいなー。」
「最後に串カツは食べたけど、天ぷらは食べてないわー。」

さまざまな食べ物語録。これらはすべて、点滴チューブに睡眠薬を落とし込み、ウツラウツラと眠りに入る直前に夫の口からこぼれていた言葉の数々であった。ろれつの回りも怪しくなりながら、一生懸命に表現している。最初は正気!?の会話だと思い込み、相槌を打ちながら返答している自分がいた。しばらくしてから気がついた。これらはすべて夢と現実の狭間の心の表現であることを。心の思いを吐き出すと、すーっと眠りに入っていく…。〝食べること〟ができなくなった時期の夫の姿であった。

もう一度 口にしたい…
この店の この ホルモン焼き

こうした様子から教えられたのは、眠る前には人間の一番ピュアな!?欲求が溢れ出してくるのかもしれないということであった。
「食べる・眠る・排泄する」
当たり前のことだけれど、自分の思い通りにこれらができる。生きる意欲はこんなシンプルな3つの要素を基盤に成り立っていることに気づかされた。

並んだ食材と対話するだけで
  いい…スーパー巡り

テレビやパソコンをつけて、食の番組をじっと見ている。
「大丈夫?辛くない…?」
の問いにもにっこりうなずく。控えていた台所からの食材を切る音、煮炊きする匂いも感じていたいと言う。点滴を背負ってのスーパー巡りも欠かせない。見舞客には十八番の焼きそばを作って振舞う。etc.

食べられなくなっても 〝食べること〟 と決別しなくていい。胃に収められなくても、目で見る、匂いを嗅ぐ、音を聴く、触れてみる。人間には授けられたありがたい五感がある。生を全うする間、この五感で食とかかわり合うこと。これぞ、食べることを乗り越えてしまった夫の生き方であったのかもしれない。

〝末期の水〟 は、夏の食を支えてくれた大好きなかき氷の蜜、ブルーハワイ。そっと口に沁み込ませての、囲む人々との乾杯であった。(続く)