わいワイ がやガヤ 町コミ 「かわらばん」

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2014年2月10日〝食べる〟ということ 「食べたくても食べられなくなった期」より

「余命が限られた患者さんにとって、病気と共存していく上で大切なことは、呼吸ができること。睡眠。安定した精神と気力。そして口から食べること。」内藤いづみ著『あなたが、いてくれる。』より)
在宅ホスピス医であり、山梨県でふじ内科クリニックの院長を務める内藤いづみさんの言葉がずっしりと身に染み渡る時期を迎えた。どんなに点滴で栄養を身体に送り込んでも〝口から食べる〟ことで得られる心への充足感が、何にも勝る大きな 〝生きる素〟 であることに気づかされた。

多種多様の味が勢ぞろい

口から食べたい気持ちを
支えてくれた“お菓子たち”

「とにかく食べなさい。」
そんな言葉を医師から告げられて、一年も経たぬ間に訪れた 〝食べる〟 こととの決別期。癌が十二指腸に忍び寄り、食べたものが胃から小腸に流れることなく、再び口から戻されていった。嘔吐の苦しみもさることながら、水一滴すら口に入れられない状況は、気力も体重も一気に激減させた。

夏の味方!“かき氷”

その年のクリスマスに、鎖骨下静脈点滴ポートを胸に埋めこむ手術を受けた。これによって、食事に代わる高濃度の24時間持続点滴を可能にした。正月明けには胃ろう(口から食物摂取不可の状態に、胃にチューブを着けて栄養を送る)の逆バージョンで、胃に溜まる体液を取り付けの袋に排出させた。胸も腹もチューブで支配されてしまった身体、肺炎も併発して、しばらくは身体を横たえ何も語れず、ひたすら眠る日々が続いた。

この山を越えると、待ち受けていたのは 〝食との葛藤〟 の日々であった。元気を取り戻した証として食欲が戻った。さりとて口から食べられるものは、あめやチョコといった類の溶けるものだけ。テレビをつけると食の番組が毎日のように放送されている。おまけに一日三回、夫の病室前をカタカタと素通りする配膳カートの音。何とも言えない面持ちでその音を聞き入る私達がいた。

旬の果物はミキサーで

食べられない現実をすんなりと受け容れることの難しさを夫の姿から知らされた。なんと病室の冷蔵庫には山ほどのチョコレート。ベッド横のかごには多種多様のあめやガム。こうしたものに飽きがくると、お湯を注ぐだけで飲めるインスタントのスープ類をこっそりと兄にメールで注文。退院後はさらに胃からチューブを流れる食材探しに奔走する姿があった。チューブに食材がつまってしまう。つまった物も自分で上手に取り除く技術?!も身につけてしまった。
自分の欲するものを食べられない夫の状況や気持ちを汲みつつも、正直、傍らで 〝食への暴走〟 をハラハラしながら、決して快く理解して見守っている自分ではなかった。
「海野さん、すごいやん!ようここまで開拓したね!」
看護師でもある友人が、夫のおやつの山盛り状態を見て笑顔でひと言。共感の言葉に満面の笑みで喜ぶ夫。ふたりのやりとりから複雑に絡む心の糸が少しほぐれるのを感じた。

〝口から食べられる〟 こんな当たり前の行為の中に潜む 〝偉大な幸せ〟 の存在を目の当たりにした。(続く)