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2019年10月28日◆特集 わが町 今昔 知っトコ 第8回 朝潮橋駅周辺の巻

 

港区民の憩いの場である八幡屋公園は、昔から子どもたちが集まる遊び場でした。以前は八幡屋交通公園(1972年~)という名で、横断歩道や使われなくなった電車、噴水池があり、地面がアスファルトだったため、この交通公園で自転車に乗る練習をした方も多いのではないでしょうか。自然が多い現在の八幡屋公園とはまた一味違う楽しさがありました。
戦前の1923年、日本初の50mの競泳用プールや、5万人を収容可能なスタンド付きの陸上競技場など、大規模な総合運動公園としてスタートした大阪市立運動場では「第6回極東オリンピック大会」(1923年)が行われました。隣には国際見本市会場(1956年)も建設され、当時も大勢の人が集まるエリアでしたが、1964年には長居陸上競技場へ、1985年には南港のインテックス大阪にそれぞれ移転しました。その後、1987年頃から大規模な工事が始まり、現在の八幡屋公園と体育館、大阪プール(1996年)が完成しました。
ちなみに、朝潮橋という駅名は、みなと通り(旧築港大道路)を横切る井路川(用水路)にかかっていた「朝潮橋」に由来しています。当時の朝潮橋は、みなと通りと中央大通の合流地点付近にありましたが、戦後の埋立の際(1951年)に撤去されました。駅前にある大阪メトロの敷地(元は交通局の敷地)の工事も始まり、大阪メトロに問い合わせましたが、何が出来るか今は公表できない、とのことでした。駅前に新しく何が出来るのか、地元民には楽しみですね!
(八幡屋交通公園や実際の「朝潮橋」の橋の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけると嬉しいです!)

毎月第一土曜にオープンする田中食堂では毎回200食が完売するほど老若男女で賑わいます。お手伝いされる地域スタッフは30名以上にもなり、「参考事例にしたい」と他区からの見学や視察もあるそうです。「地域の活動とはいえ、地域に強制されて手伝う雰囲気じゃなく、それぞれが来れる時に来てもらって、楽しみながら協力してくれています」と矢田会長が話されるよう、一流の主婦の皆さんがワイワイしながら食事の準備をされています。
取材に伺ったこの日はカレーとかき氷。地域のおじいちゃんおばあちゃん、練習後の子ども会を中心にした大勢の子どもたちが訪れます。2階にある和室は「すまいるひろば」として開放され、将棋やオセロ、カルタやブロック等があり、おもちゃで遊ぶ子もいれば、寝っ転がっておしゃべりしたり、赤ちゃんを遊ばせながらお母さんたちも団らんしたりと、お正月に大人数の親戚が集まったような光景が広がります。隣の学習室では、スタッフの方と一緒に学校の宿題をしたり、用意されている漢字プリントをしたりと、それぞれが自由に時間を過ごしています。
食事後には、地域の方による落語や南京玉すだれ等が月替わりで披露され、この日は港区住みます芸人ガチャガチャさんによる漫才があり、「意外におもろいな!(笑)」という観客の声に、「こんなにウケたの初めてです(笑)」と返す一幕も。アットホームな雰囲気の中、皆さん楽しまれていました!

 

家族全員が将棋好きという将棋一家。6歳の時にお父さんに教えてもらったのがはじまりです。お兄さんお姉さんが通っていた将棋会館(JR福島駅)に週一回付き添いで行くうちに自分も将棋を指すようになり、小学3年生の時には初段に。ご自身が5年生だった2016年、最年少記録を更新(14歳2か月)してプロ棋士となった藤井聡太さんの活躍に刺激を受け、一気に将棋熱があがりました。夏休みには将棋会館に毎日通うようになり、2段へ昇段します。
対局では100手前後で勝負が決まりますが、およそ40~50手先まで考えて指しているそうです。そして、対局での自分と相手の指し手を全て覚えていて、対局後の感想戦(対局の振り返り)で攻め方や守り方をお互いに細かく振り返ります。昨年から2年連続で全国中学生選抜将棋選手権大会に出場し、昨年は準優勝、今年はベスト8に入賞されました。今年の9月にはプロ棋士養成機関である「奨励会」の試験に合格し、これからはアマチュアの大会に出られなくなりますが、「プロになることが、支えてくれた方々への恩返し」と、20歳までにプロになることを目指されます。「勝負に勝つ喜びや強い相手と対局する際の高揚感がたまらない」と、将来進む道を14歳で決めた覚悟と決断力に、見ているこちらも応援したくなりますね。プロ棋士を目指して頑張ってほしいです!

 

休日に公園で見かけるバドミントン。のんびりしたイメージのあるバドミントンですが、競技となるとまるで別のスポーツのように激しくなります。シャトルの最高速度は時速300km近くあり、試合中ずっと動き続ける運動量の多さや激しさは、遊びでするバドミントンのイメージとはかけ離れています。
小学1年生から始め、2年生の時は平野区にあるクラブチームに週6日で通い、4年生からは週7日で練習に励んできました。4年生の時に大阪府の大会で優勝したこともあり、放課後に友達と遊びたい気持ちはありつつも「練習してもっと強くなりたい」という気持ちの方が勝るほど、負けず嫌いの性格のようです。港中学校に入ってからも、部活に所属しつつ、私立の強豪校の練習に参加し、全国レベルの高校生と一緒に練習してきたそうです。「才能があったのではなく、努力で強くなった」と語るほどに練習量は半端ではなかったようで、「とにかく声を出すことで自分に勢いをつける」と緊張した時や、ここぞという場面での自分の調整法も確立させています。将来の目標は、プロになって日本代表選手になること。「試合で勝って恩返しをしたい」と普段は言えない両親への感謝の気持ちも語ってくれました。取材の際もさわやかに話してくれた川畑選手、応援したくなる選手です。これからが楽しみですね!