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2014年2月17日下村彦右衛門(四)

享保15年(1730)心斎橋筋に呉服の卸(おろし)店「大丸」を創業した下村彦右衛門は、宣伝に大変な才能を発揮します。
○の中に大を入れた商標をつけた番傘(当時の雨傘。竹の骨に油紙をはったもの)を店の前に置き、にわか雨で困っている通行人にさあどうぞと貸して喜ばれます。神社や寺院の手洗い鉢に、この商標入りの手ぬぐいをやたらとさげ、燈籠にも彫りこみます。傑作なのは、歌舞伎の舞台で人気役者がパッと広げた傘にダイマル印が描かれていたことで、これには誰もがびっくりしました。
大売りだしはどこでもやっていましたが、これに福引きや景品をつけたのは、大丸が最初です。会場には歌舞伎座のようにダイマル提灯をつりさげ、福袋も山ほど積んで景気をあおりたてます特賞には振袖ひとそろいを入れて、世間をあっといわせました。
こうして大丸を京都・大坂・名古屋・江戸と四都を代表する呉服店に育てあげた彦右衛門は、50才をすぎると突然商いの第一線から退き、頭を丸め、茶の湯や謡曲を楽しみながら、せっせと家訓を作り始めます。
江戸時代の豪商は、いずれも子孫がかならず守るように商いの憲法「家訓」を作っていますが、とりわけ彦右衛門のは面白い。その中からいくつかわかりやすく直して紹介しておきます。

下村彦右衛門の書

(1)10才までに読み書き手習いを終え、そろばんに入ること。
  15才になるとかならず丁稚(でっち)奉公せよ。他人のきびしい躾(しつけ)
  を受けること。
  20才をすぎたら大丸の支店を順番に回り、大丸商法を会得せよ。
(2)一人のいうことを信じるな。多くの人の話を聴き、いいとこだけをとり入れよ。
(3)ぜったいに客をだましてはならぬ。正直律義、誠意をもって取り引きすべし。
(4)衣服・食事のおごりもいけないが、心の ごり、これが一番いけない。
(5)商いに誇りをもて。商人は武士や農民に劣るものではない。
(6)賭博・遊蕩、かたく禁ずる。火の用心を怠るな。

延享4年(1747)1月、親しくしていた法性寺の住職大道和尚が訪ねてきて、
「ほう、お前さん。死期が近いぞ」
といいました。家族たちは怒りましたが、彼は
「よういうてくだされた」
と深々と頭を下げます。同年4月、
「わしの棺桶はあるな」
と確かめてから、息を引きとります。60才の往生でした。(終わり)