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2014年2月17日田中 絹代 (七)

昭和24年ハリウッドから帰国した絹代の異様な姿に、反米感情が強くなっていた世間は、
「アメリカかぶれしやがって」
「ハリウッドの物真似するこっけいな女」
などと厳しく批判し、彼女の人気はいっぺんに凋落(ちょうらく)していきました。
しかし映画監督溝口健二はそうは思いません。彼女のマンネリを嫌う性格を十分に理解していたからです。投げキッスに苦笑していた健二は、なんとアメリカかぶれの絹代を、日本の古典を題材にした文芸映画に起用します。これがふたたび絹代ブームをまき起こした「西鶴一代男」「山椒太夫」そして亡霊になって夫の帰りを待ちわびたやるせないやさしさにあふれ た上田秋成作「雨月物 語」ベネチア国際映画 祭受賞作)などです。

田中 絹代

新しく開発された絹代の演技力にほれこんだのが名監督木下恵介でした。脚本を見て思わずたじろいだ絹代をどなりつけて製作したのが、女優 田中絹代最大の傑作「楢山節考(ならやまぶしこう)=昭和33年上映」です。
「70才の老婆おりんの住む貧しい農村では、役に立たぬ老人を山奥に捨てるのがしきたりだ。やさしい息子辰平夫婦は捨てるのをいやがるが、おりんは自分で丈夫な前歯を折り、早くわしを捨てんかと催促する。生きているのが恥ずかしいとしがみつかれた辰平は、とうとう泣きながら老母を背負い、楢山の奥に入って放置した。雪のしんしん降るなかに、おりんはひとり凝然(ぎょうぜん)と正座して死を待つ…」というあらすじで、全く無名だったギタリスト深沢七郎の、中央公論新人賞受賞作品の映画化です。
「お姥(んば)捨てるか裏山へ 裏じゃかにでもはってくる…」
こんなことばが物悲しく作曲されてバックに流れる陰惨なクライマックスは、おりんに扮した絹代の鬼気迫る演技力もあって、大変な衝撃を与えました。
小津安二郎の「彼岸花」に主演したあと、熊井啓監督の「サンダカン八番娼婦館・望郷」で、あらゆる演技賞を独占します。これはからゆきさん(戦前海外に出稼ぎにいった貧しい娘たち)の老婆を描いたもので、ベルリン国際映画祭でも最優秀演技賞を受けています。
昭和52年(1977)3月、67才で永眠。今ふりかえると楢山節考のおりん婆さんを演じたときは、48才のはずです。とうてい信じられない姿でした。(終わり)