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2014年2月17日田中 絹代 (五)

昭和8年(1933)映画監督五所平之助は、川端康成の名作「伊豆の踊り子」を映画化し、ヒロインに絹代を起用しました。何度も映画になった作品ですが、踊り子役のNo.1は絹代、No.2は山口百恵だと今もいわれています。
絹代からひたむきないじらしさをひっぱりだした平之助は、今度は猛烈な演技指導をします。目の位置から指先の動きまで、そのうるさいこと、やかましいこと。絹代が泣きだしても許してくれません。しかしこれが晩年演技派女優のトップだと評価される彼女の財産になるのです。文芸づいた絹代は、島津保次郎監督の谷崎潤一郎作「お琴と佐助」野村浩将監督の川口松太郎作「愛染かつら」に主演します。

田中 絹代

両作とも若者から年寄りまで魂を奪われた名画ですが、とりわけ白衣の天使(看護師のこと)高石かつ枝に扮した彼女が、若い医師役上原謙と演じた悲恋物語「愛染かつら」は、まさに一世を風靡(ふうび)、続篇・完結篇と続き、空前の興行成績をおさめます。主題歌の「旅の夜風」(花も嵐もふみこえて…)は、ミスコロンビアと霧島昇がデュエットで歌い、今も中高年の皆さんの愛唱歌になっています。文字どおり花も嵐もふみこえて生きたかつ枝の人生は、昭和初期のロマンそのもの、絹代の熱演はむりにひき裂かれた初恋の人清水宏への思いが凝縮し、まさに神がかりでした。
この時代から大日本帝国の中国侵入政策が始まります。昭和11年(1936)の二・二六事件(青年将校らが首相官邸を襲い、大蔵大臣高橋是清らを暗殺した事件)がおこり、社会不安は増大、軍部は力で政治に介入し、翌13年盧溝橋(ろこうきょう)事件(中国で軍事演習中の日本軍が襲撃されたと称し、中国軍や民衆に報復した事件)を皮切りに、日中戦争が勃発します。
「この非常時だというのに、不潔な男女の恋など不謹慎もはなはだしい」
「時代錯誤(さくご)だ。極寒不毛の戦地で戦っている兵士たちに、活動屋(映画関係者)はあいすまぬと思わぬのか」
と圧力をかけられ、愛染かつらはへし折られてしまいました。
それでも絹代の人気は落ちません。この年渋谷実監督の「母と子」や、同19年(敗戦の前年ですよ)の木下恵介メガホンの「陸軍」では、出征するわが子を見送る悲痛な母の気持ちを、絶妙な演技で代弁してくれます。(続く)