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2014年2月17日田中 絹代 (三)

端役も端役、お姫さまにゾロゾロついて歩く腰元のひとりだった田中絹代の笑顔がいいと評価し、いきなり「村の牧場」というさわやかな青春映画の主役にしたのが、松竹の青年監督清水宏です。
宏はオロオロする絹代の演技に文句ばかりつけ、泣きべそをかくまで叱りましたので、
「こんな人大嫌い」
と彼女は恨みます。ところがのちに2人は大恋愛するのですから、清少納言がいうように男女の仲とはふしぎなものですね「村の牧場」 の興行成績は、全くだめでした。宏は会社からどなりつけられ、しばらくは仕事がもらえなかったほどです。
しかしたったひとり、ベテランの監督 五所平之助が絹代に注目します。今度は笑顔ではありません。ひたむきさがいじらしいというのです。このひたむきでいじらしい演技が、やがて絹代を大女優にするのです。いや、演技ではない。彼女の人柄がこうです。

田中 絹代

昭和2年(1927)平之助は絹代を主役に「恥ずかしい夢」 を制作します。若い娘さんのひたむきでいじらしい生き方を、コメディタッチで描いたものです。これが絹代の出世作になりました。
翌3年、松竹は彼女を東京の蒲田撮影所に移し、ヒットメーカーといわれた監督鈴木伝明とコンビにして、「近代武者修業」「彼と田園」「陸の王者」等を制作します。いずれもワンパターンではない。つねに新しいジャンルに挑んだものばかりで、たちまち松竹の看板スターになっていきます。
けれどもこの別れが絹代と宏の慕情をかきたてました。いつしか2人は深く愛しあっていたのです。困ったのは松竹です。純情スターとして売りだしたドル箱が、恋に落ちて世間の噂のタネになれば、ガクンと興行成績がさがる時代でした。
絹代があこがれて映画界に入るきっかけになった日本映画史上美人女優第1号といわれた栗島すみ子も、実は21才のとき監督 池田義信と結婚していますが、会社は12年間もひたかくしにかくし、ようやく公表したのはすみ子が33才で引退したときです。
「宏さんに会えないなら、松竹をやめます。結婚して家庭に入ります」
と泣き顔で訴える絹代を、お前はひとりで売りだしたつもりか、会社がどれほどカネをつぎこんだかわかっているのか、松竹の重役たちはこうつめよりました。(続く)