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2014年2月19日森 狙仙(三)

前回述べたように、猿を描いては日本一といわれた森狙仙の絵が、大変な高価で取り引きされたのは彼が没してからです。
そのため画工寉山(かくざん)をはじめ、狙仙の絵を模写し偽の落款を押して売りまくる不届き者が増えました。それで現在狙仙の絵だといわれるものには、多くの贋作(がんさく)や真偽不明の作品が混じっており、とても残念です。

狙仙の墓※森狙仙(二)参照

ところが、万博公園の近くの紫雲寺(吹田市山田2丁目)に、狙仙真筆の天井画が82枚も保存されていたことが分かり、話題になりました。彼が滞在したおり御礼だと絵筆を振るったものですが、日付けがないので、いつ頃の作品かは確定できません。しかし筆法から見てあぶらののりきった五十代の後半かと思われ、機会があれば拝観をお勧めします。狙仙の名画がこれほど完全に保存されているのは、全国的にも珍しいでしょう。
山田にはこんな伝承もあります。この村は桃が名産でしたが、猿が実を食べてしまうので困っていました。あるとき番人がうまそうに食べている猿に、こらあと長い棒切れでなぐりかかろうとすると、木の下にうずくまって紙になにやら描いていた男が、

狙仙の猿画

「すんまへん。ちょっとの間、このままにしておくんなはれ」
と頼みます。
「あほ、桃の実喰われるやんか」
と怒っても、
「もうちょい、もうちょいや」
と桃を喰う猿をスケッチしています。
「うまいなあ」
と番人が見とれているうちに、三つも四つも喰われてしまいます。
「もうあかん。しんぼうでけへん」
と大声を出しても平気の平左、
「もうちょい、もうちょいや」
と何枚も何枚もスケッチしたあと、
「おおきに。わいはそこの紫雲寺に泊まってる八兵衛や。桃のお代払うさかい、すまんけど取りにきてや」
とにっこり笑って帰っていきました。八兵衛とは狙仙の本名です。もとより番人は狙仙など全く知りませんから、けったいな男やなあ…とあきれました。
狙仙の実兄森周峰も画家です。彼は元文3年(1738)生まれですから、9つ年上です。幼いころから大坂の絵師吉村周山の内弟子になり、師匠の一字をいただいて周峰と名乗ります。さらに月岡雪鼎(せってい)にも教わり、山水・人物・花鳥と何を描いても一流ですが、狙仙の画風とは大ちがいでした。(終わり)