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2014年2月21日楯彦・八千代(三)

日本三名妓のひとり、富田屋の看板芸者八千代の人気がどんなに高かったか、おもしろいエピソードを紹介します。

有名なマンガ家岡本一平(画家岡本太郎の実父)は、なんども横顔をスケッチさせてほしいと頼みこみ、やっと願いがかなったときのことを、次のように書いています。

「二重にくびれ居る二重瞼(ふたえまぶた)は微紅を帯び、あたかも春花の柔らかく、また温かく、睫毛(まつげ)にそうて香りかかり、乱れかかり、えも言へぬ美形…」

このとき一平は東京からかけつけ、約束の時間から5時間も待たされ、やっと面会できたもののたったの10数分間でした。一平だって超売れっ子です。それが待たされた恨みなど、ひとことも言ってない。ポカンと口をあけて、みとれていたことがよく分かります。

現在 嵐山にある「富田屋」

しかし八千代はどんなにチヤホヤされても、お高くとまることはありませんでした。松下電器の創業者松下幸之助が、まだ、高津の電燈会社(現関西電力)に勤めていたころ、富田屋から停電の修理を頼まれ、天井裏にもぐりこみほこりだらけになっていると八千代が通りかかり、まあ、お気の毒と声をかけ、茶菓子と祝儀袋をさしだします。

「自分は顔がまっかになり、お礼の言葉も言えなかった」

のちに幸之助はこんな思い出を語っています。

八千代は権力や金銭には媚(こ)びませんでした。宴会ではどんなに偉い政治家や大社長がいても、かならず末席にいる人の前に坐り、そこから順に上座に酌(しゃく)をして回ったと伝えます。
きっぷのよさも抜群でした。あるお茶屋で泥酔した大尽(だいじん 大金持ち)が入浴し、派手に湯水をとばしていたところ、廊下を歩いた八千代にかかり、八千代は思わず顔をしかめます。あやまるどころか大尽は、
「やい芸者、着物がそんなに惜しいのか。もっとええべべこさえてやるぞ」
といったとたん、
「いいえ、ちっとも惜しゅうはございません」
と、いきなり着物のまま大尽の湯舟にとびこみ、ぬれねずみになったまま平気で立ち去りました。
富田屋の下働きの人たちにもやさしく、新参の妹芸者を実の妹のようにかわいがり、どんなに金を積まれても身請け話には首を横にふりました。(続く)