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2014年2月7日ボードウィン (二)

明治元年(1868)上海(しゃんはい)を旅行中だったオランダ人医師ボードウィンは、緒方惟準(これもり・洪庵の次男)から
「天皇さまのお声がかりで、日本のセカンド首都大阪に、近代的な蘭医学の公立病院が誕生します。知事も大賛成で理想的な病院になると思います。病院の指導者は先生以外におられません。なにとぞ国家医療のため、もう一度お力をお貸しください」
と懇願されます。長崎の養生所に勤めていたころ、もっとも気に入った愛弟子の頼みです。それに天皇さまのひとことでその気になります。オランダは日本と同じ皇室のある国家で、国民たちは皇室を深く尊敬しております。
医学者としてもっとも充実していた40才のボードウィンは、喜び勇んで再来日するのですが、事情は大きく変わっていました。全面的に協力するといった府知事後藤象二郎が、東京へ転勤したのです。あとはおきまりの財政難、明治新政府も発足したばかりで幕府崩壊後の社会状勢は大混乱、蘭医学病院どころではありません。

下宿した法性寺

病院はどこかねと尋ねるボードウィンに、ひらあやまりにあやまった惟準は、父洪庵がいつも西洋の医学書を取り寄せていた書店山田正助の紹介で、大福寺(天王寺区上本町4丁目)の境内を借りて「浪華仮(かり)病院」を開きます「仮」とは予算がついて本格的な病院を建設するまでの「仮」という意味です。  次に薩摩屋半兵衛に、ボードウィンの身の回りの世話を頼みます。半兵衛は江戸堀(西区)にあった薩摩藩蔵屋敷に勤めた商人で、洪庵の「適塾」の門下生、カタコトのオランダ語の会話ぐらいはできました。
彼は熱心な日蓮宗の信者です。さっそく法性寺(中央区中寺1丁目)の住職日定(にちじょう)に、オランダの先生を下宿させてくださいと頼み、ボードウィンに、
「先生、なんでもいいつけておくんなはれ。ただし食事は日本式でっせ。文句は聞きまへんで」
と何度も念を押しました。
ボードウィンは法性寺を気に入りましたが、みそ汁につけものが続くと大男だけに腹ペコ、いきなり境内で豚を飼い、トンカツにしてペロリと平らげます。
「せ、先生、お寺で殺生はあきまへん」
半兵衛はあわてて手をふりました。(続く)