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2015年4月23日大阪市長物語 (十二)

昭和4年(1929)7代大阪市長関一は、世界的な大不況のなかで梅田から心斎橋まで地下鉄を走らせる計画を立て、「もぐらの乗物大反対!」「坊ちゃん市長は学校に戻れ」と、満身に雨霰のような非難の集中砲火を浴びます。
それでも屈せず、敷設費用の75%を国の起債に頼れば実現可能だと、上京して政府高官や高級官僚たちに夜討ち朝駆けを執拗にかけ、超不況を逆手にとってこう迫りました。
「地下鉄工事に従事する労務者は、すべて失業者を当てる。つまり工事は失業対策であり、救済・福祉事業だ。困窮している国民たちを援助するのは、行政の責任・義務ではないか」。
すったもんだのあげく、翌5年1月29日から地下鉄1号線の建設工事がスタートします。工法はオープンカットといって、今とは違って原始的、地面に穴を掘り完成すればコンクリートで固め、埋めもどすやりかたです。それだけに、
①地盤・土質が軟弱なところは、3mも掘ると地下水が湧いてくる。
②地上の路線にあたる所の用地買収・家屋移転等の交渉と費用が大変。
③ガス・水道管をどうするか。
などの難問が山積みでした。

地下鉄工事

地下鉄工事

工事はまず地面をU字型に掘るため、両面の土砂が落ちないように鉄板を20mほど打ちこまねばならぬが、その音のやかましいこと。周辺の建物も振動で壁や瓦が落ちた、ひびが入って軒先が傾いた、井戸水が涸れて出なくなった…などの苦情が殺到し、市当局は頭をかかえてしまいます。
次に掘った土砂の処理です。トロッコで淀屋橋の南詰にあった船着き場まで運び、川舟に移して木津川尻へ、そこから陸地にあげて「大正飛行場」の埋立てに使う予定でした。ところがいつの時代でも政府は杓子定規です。トロッコはいかん、モッコで運べと言うのです。
理由をきいては絶句する。失業者救済事業だから、モッコのほうが大勢の労務者を採用できると偉いお役人様がおっしゃる。1回運ぶと5銭、屈強な若者でも1日20回がやっとでした。草履に着流しの労務者たちが、ゾロゾロと蟻のように行列を作って運ぶ非能率さに、誰もがあきれてしまいました。有名なせんべい訴訟事件も起こります。今のガスビル付近にあったせんべい屋の老舗が、振動で炭火が崩れうまく焼けぬと、裁判所に訴えたのです。  (続く)