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2015年4月22日大阪市長物語 (二十)

水の都大阪の復活を夢見た8代大阪市長加賀美武夫は、片腕と頼む若き秘書中馬馨「市内の河川に観光船を走らせたら」との提案に大賛成。二人は少年時代に戻って勤務の余暇に顔つきあわせ、大阪最初の観光船の図面作りに熱中します。 ようやく完成した第1号は、全長15メートル、31・6トン、定員53名という小型ながら今までにない宇宙船のようなスタイルでした。船体の色を決めるときともに譲らず、大げんかになったと伝えます。市民から船名を募集すると26700点も集まるが武夫は、3位だった「水都」でなければ厭だとだだをこねています。総工費は5万円也です。

中馬 馨

中馬 馨

「なあ中馬クン、水都の試乗運航には一緒に乗ろうな」 「もちろんですよ。水都から市街を見上げたら、きっといい市政の着想が浮かびます」 と握手した二人だが、昭和14年(1939)5月25日、試乗運航の直前、武夫は持病の心臓が悪化して、中之島にあった阪大病院に入院させられました。 「水都は堂島川を通るね。病室の窓からも見えるね」 「はい、大丈夫です。北側の病棟ならぜったい見えます。私は赤いハンカチを振ります」 こう言いながらはそっと目頭を押さえました。 当日午後1時、助役坂間棟治に馨、それに大阪の朝野の名士40数名を乗せた水都は、堂島川に入ってきます。阪大病院が見えるとは、スピードを落とせと命じました。 病室から半身を乗りだし大声でなにかを叫びながら、これまた赤いハンカチを振っている市長の姿が、はっきりのまぶたに焼きつきます。 しかしこの4カ月後、武夫はわずか46歳で帰らぬ人となりました。市長就任が同年1月ですから在任はたったの9カ月、歴代大阪市長のなかで最も短命、ご存知の方が少ないのも当然です。 時移り世は流れ、武夫の夢は大阪水上バス「アクアライナー」となって走り回っています「超薄型のウオータージェットが、歴史とロマンの旅に案内します」とのキャッチフレーズを、天国のお二人はどう思っておられるでしょうか。 市長物語はこれでおしまいです。百年後にどなたかが書きたくなるような市長さん、どんどん出てきてくださいね。     (終わり)