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2014年2月18日伊藤喜十郎(四)

大阪の特許品専門販売店「伊藤喜商店」の社長伊藤喜十郎は、無名の発明家たちに投資して新商品の開発に資金を投入しましたが、たいていは失敗に終わりました。
努力は徒労に帰し、金銭は行方知れずとなりますが、彼は一度も愚痴をこぼしたことはありません。まして人を責めることはぜったいにしない。頭をかかえてわびる発明家たちに、つぎはがんばってな…とやさしく声をかけ、よし、社長のためにやったろと奮起させる手腕は、大したものでした。
帝国発明協会等から生涯50数回にわたって表彰や受賞を得ていますが、この人柄があったればこそでしょう。

渋沢栄一筆

昭和4年(1929)これまた発明大好きといわれた昭和天皇が大阪に来られたとき、喜十郎にお会いになり、
「偉い人だそうね」
と、お声をかけられました。喜十郎は今までの苦労が報われたと大喜び、会社にもどるやいなや「ゼニアイキ」彼が売りだした金銭出納器〔今のレジ〕)を献上したのです。
「おそれ多くも天皇陛下にゼニ勘定の道具をさしあげるとは、なにごとじゃ。身のほどわきまえぬふらちな男め!」
と、宮内省の役人たちは青筋立てて怒りましたが、昭和天皇はさっそく金銭を取り寄せ、何度もためされて、
「ほう、正確に記録されるのう」
と、感心しておそばに置かれたと伝えます。
日本債権会社も設立、事業家としての才能も発揮した喜十郎は、天皇のおことばにすっかり満足して翌昭和5年(1930)75歳で他界しました。中央区平野町2丁目に「イトーキ史料館」があり、彼の偉大な生涯と数数の発明品を知ることができます。
「イトーキの商品は、百年という歴史の厚みのなかで、一人ひとりの汗と涙の結晶が、美しい心と営々と続けられた努力が、花開いたものであります。私たちは文明の進歩によって、こういったすばらしい過去を忘れてしまうのが気がかりです」
との内容が記された史料館設立の趣意に同感します。
私たちは多くの先人たちの遺産を相続して暮らしていることを、決して忘却してはなりません。
ゼムピン・アイデアルなどの紙ばさみ、金額印刷機、穴あけパンチ、自動番号機、シールプレス、すべて喜十郎のおかげです。(終わり)